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わたしの愛する吉本ばなな

吉本ばななさんが好きだ。

初めて読んだのはたぶん高校生のころ、古本屋で『キッチン』を買った。もともとかなり年季の入った本だったと思う。そのうえわたしが何度も何度も読み返したので、角は破れてしまっているし、すべてのページが茶色く日焼けしていて本を開くたび古い紙の匂いもする。それでも、このボロボロになってしまったこの本のことを、わたしは一生愛し続けると思う。

つらいときいつもそばに本があった。ずっと物語に救われてきた。そのなかで、吉本ばななさんの本が気づけばいちばん近くにいた。わたしにとってはお守りだった。ばななさんのことばには嘘がなくて、10代の深刻で脆い心を裏切らずにいてくれた。裏切らない、それが一番嬉しかった。傷ついたままで生きる力をくれた。

好きな一文はそらんじて言える。
―――君の幸せだけが、君に起きたいろんなことに対する復讐なんだ。
―――幸せになってもいいのだと、声が聞こえた。

何度も心のなかで唱えてきた。小説を読めば、これはわたしのための物語だ、となかば本気で思った。ひどい勘違いだ。それでも、わたしと同じように思った人がたぶん、たくさん居る。

最近読んだ10年以上前の対話本で、吉本ばななさんがこう仰っていた。
―――私は、ぎりぎりの人たちに向けて書いています。ちょっと感受性は鋭いけど、なんとか普通の感じを保ちつつ、という人に
ああそうか、と思った。ばななさんご自身がこういう気持ちで書いてくれているから、わたしたちは幸福にも"わたしのための物語"と思えたんだ。勘違いじゃなかった、それが分かってうれしかった。

いつか会えたらなんて言おう。
救われましたとかありがとうございますとか、そういうことを言い始めたらキリがないんだけど、それなら笑顔で一枚写真を撮るような、わたしのつらかったあれこれはたしかに流れていっていますって、その傍らにいつもばななさんの本があること、時間は流れて今は笑顔ではいチーズ、というような、そういう一瞬が、いつかあればいいなと思う。

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