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【書籍】芸術の中動態ー受容/制作の基層

中動態、あまり聞き慣れない言葉ではあるが、著者の森田はこの用語をフランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908-1961)から見出した。

メルロ=ポンティの書籍は写真専門学校時代(約10年前)に以下を読んだことがあるが、非常に捉えにくかった印象を受けた。

ものごとの見方や見え方を考える場合、主体ー客体、受動ー能動といった二項対立によってその構造を明らかにしようとする。しかし実際には、どちらにも当てはまらない(もしくはどちらも包含する)、中間に位置する場合がある。

メルロ=ポンティが著書で用いていた「X se voit」という用語は、フランスの言語学者エミール・バンヴェニスト(Émile Benveniste, 1902-1976)がいう「中動態」という概念に当てはまるのでは、というのが森田の見解である。

「見る」ー「見せる」、主体と客体ではこうした関係性が見て取れるに対して、「見える」という、見せる側によるものなのか、見る側による意識的なものなのか、どちらにも捉えることができる中間。これが「中動態」に該当する。

この「中動態」という用語に行き着いたのが、現在PHOTO GARELLY FLOW NAGOYAで展示を行っているのがきっかけである。

アルゴリズムやアプリなどによって創造される作品の主体はどこに帰属するのでろうか。たとえばソフトやシステムが「勝手に」処理を行っている。

ただし、私はこの「勝手に」(=自動で)というニュアンスに、やや違和感を覚えた。自作の場合、アルゴリズムを構築しているのはほかでもない、私自身だからである。

アルゴリズムを構築した私によって作られるイメージ。しかし、そこにランダム性を組み込むことで、私の制御可能な範囲を逸脱させる。

アプリなどが「自動で」行っているという挙動も、元を正せば名もなき技術者によって構築されたアルゴリズムが、外部命令(ソフトを起動する、スイッチを押すなど)に応じて動作しているだけにすぎない。アルゴリズム側からすれば「正常に」動作しているだけにすぎないのである。

このとき、作品の主体とはアルゴリズムにあるのだろうか。それともアプリなどを操作した人物に帰属するのであろうか。これは、写真の主体がカメラにあるのか、それとも撮影者にあるのかという問いと同義である。

「写真」という画像データを生成するのはアルゴリズムの役割であるため、アルゴリズムが写真の主体であるといっても過言ではない。しかし、撮影者の行為、すなわちシャッターを押すという「きっかけ」がなければ、写真は生成することができない。

つまり、現時点においては、アルゴリズム、および撮影者(操作者)のどちらが欠けても「写真」にはならないのである。「写真」となるためには、人間とテクノロジーとの共同作業によって生み出されるといえるのではなかろうか。

一方で私の作品の場合は、私がアルゴリズムを構築して、アルゴリズムによって「写真」が生成されている。ここに、「撮影」という行為は介在していない。

私という人間がアルゴリズムを構築しなければ、生成したような「写真」とはならない。たとえ本質的に写真である画像データを生成している(主体)のはアルゴリズムであったとしても、アルゴリズムそのものの主体は、ほかでもない私が握っている。

ここに、「中動態」という概念を用いることで、端的に説明できるのではなかろうか。

画像データはアルゴリズムが「作る」ものであり、アルゴリズムによって「作られる」ものでもある。私にしてみれば、画像データはアルゴリズムを用いて「作らせる」ものであり、画像データにとってみれば、「作られた」ものなのである。

こうした関係性が絡み合って、最終的な「写真」が生成されている。主体でも客体でもある、主語でもあり目的語でもある。中動態によって、写真とは生成されているといえるのかもしれない。


主語と目的語の関係性はあらかじめ存在していることを「知っている」からこそ、能動ー受動の関係性がみてとれる。

本書ではデリダによる「何か中動態のような」働きを、引用の引用になってしまうが、以下のように示している。

作用でない作用、subject(主語、主体)のobject(目的語、客体)に対する能動としても受動としても考えられない作用、能動者から出発しても受動者から出発しても、これらの項のどれから出発してもどれを目指しても考えられない作用を言うのである。

このことについて、森田は中動態を以下のように解釈している。

中動態の動詞は、名詞の主語に従属する述語ではない。中動態によって、われわれは、主語を前提としない述語、さらに言えば、主語に先立ち主語をそこから成立させる述語というものまで、考えることができるように思われる。

表現方法もさることながら、解釈においても多様な切り口がある。だから、写真はおもしろい。

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