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なぜ森の中に小屋を建てたいと思ったか

数日前、私が森を買ってそこに小屋を建て森を自由に楽しめる空間を作る予定である話になったとき、「それは子供のときから思っていたことですか?」という質問があった。
やや答えに窮し「潜在的にそういう思いはあったと思います。」が第一声となった。なぜ答えに窮したか、それは世の中が急速に変化する中で、自然ガイドとしてやってきたような、自然をフィールドに人を相手にする生活をどう自分の人生に最適化するか、それについての考えが日々流動的に変化し、やっと出た結果が“森に小屋を建てる”だったからだ。
その方に、なぜ自分がその結論に至ったかを順番に伝えたようにメモ代わりにここに書こうと思う。

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まず今から30年前の話。
私は小学2年生の頃から緑を、自然を守ろうという思いを秘めた子供だった。こういうと、昔から動植物に詳しかったんですね、と言われそうだが、昆虫博士とか、鳥マニアだったわけではない。知識や興味の幅は同学年の友人たちと同程度だった。
じゃあ何でそんなことを思うようになったのかと言うと、気の合う友人と二人でグリーンマーク(昔は一定数集めると苗木がもらえた)をクラス中から集めるという活動を始めたからだった。たぶん、それが最初の契機だ。この活動を通して、自然に関わる道に進みたいという気持ちが芽生えた。

それから中高は普通科の学校へ通いながら、自然関係の職に就くにはどんな選択肢があるのか考え調べながら過ごした。
大学は自然について学べる学部に入り、自分の進みたい方向(研究者?調査員?添乗員?公的機関の職員?など)を模索し、卒業後はビジターセンターに準ずるような活動をする公園の臨時職員を経て、自然ガイドという職に就いた。
ただ、その頃から世界的かつ急速に変化する状況に意識が向いていた。
悪化する地球環境は言うまでもなく、技術革新や人の動き、医療、経済、政治、人口のこと。

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そうして過ごすうちに、結婚したいと思う人が現れ、地球全体で起こっている変化にどう適応し二人で歩んで行こうか、毎日のように自分が何を感じているのか向き合い続けた。
これまでのやり方にしがみつかない生き方へ見直すタイミングだった。
そして、何年も前から私の中でくすぶっていたこの感覚をもとに、二人の歩む道の青写真を描いた。食料やエネルギーはある程度自活しながら、私が自然ガイドとしてやってきたインプットとアウトプットができる場を作り、共感してもらえる人にその空間をレンタルという形でシェアする。いつかやりたいな、そう思っていた所で起きた北海道胆振東部地震。
この時、「今のままではいけない、これは何かの契機となる。」という思いがふつふつと湧いてきた感覚はあったが、その正体にはまだ気づけていなかった。
思い返すと、あの時、私の中では深い所で既に意識が変化していて、火がついていたのだ。事実、その年の秋には、次のステージ移る決意のもと、事業をたたむことを表明し、期日通りあっさり廃業した。

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動植物を見たり、感じたり、勉強したり、人にその面白さを伝えたりしたい。そういう私の中身はずっと一緒、変わったのはそのやり方だけ、それが体現できる自分の森が欲しい。
いま、いくつか良さそうな土地を見つけた。
先人たちにアドバイスを乞うと
「土地所有者との直接交渉は避けた方が良い。素人が行くと警戒さて断られるよ。」
「これだと思う土地を見つけたら、臆さず交渉しなさい。土地を手放したい人はいっぱいいるから。」
と色んな意見が出る。でも、これは土地柄によるんじゃないかと思えるようになったので、所有者との直接交渉も辞さないつもりで、また動こう。

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