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二番煎じでもいいじゃん

心動かす言葉を生み出せるあの人が羨ましかった。

あの人の言葉は感性鋭く日常を捉え、物語にしていく。
物語は本やインターネットを通して誰かに届き、心を動かす。
あの人の言葉、物語が好きだ。

物語から奪った二番煎じの言葉を使う自分が嫌いだった。

自分で書こうと思っても何も出てこず、映画一つ見ても際立った感想は出てこない。

何より自分が書く文章が嫌いだった。

なんであの人と同じように書けない。
なんであの人みたいにこの気持ちを言い表すことができない。

自分の筆力を呪いつつ、ずっとあの人の文章を読み続けた。
笑い、驚き、泣かされ、自分の日常は彩られていった。
そんな風に彩られていくのが悔しかった。


どれだけ憎んでも、あの人の言葉が大好きだった。



友達が悩んでいる時、恋人が悩んでいるとき。
かける言葉は、自分の言葉ではなく、記事で読んだあの人の言葉だった。
その言葉はやっぱり響いて恋人は涙を流した。
かなり悔しかったけど、少し嬉しかった。
あの人と恋人の間で、自分が存在出来たように感じた。


それから周囲にあの人の記事や本を紹介するようになった。

「それに悩んでるのだったら、この記事がいいかも。」
「優しいあなたには、この本が助けになると思う。」

あの人の言葉を、渡す人用にラッピングする。
自分を通しても、あの人の言葉は心を動かした。

やっぱり凄いな、勝てないなと思った。
かなり悔しかった。かなり嬉しかった。


自分には誰かの人生を支えるような言葉を、作ることはできないかもしれない。
誰も気づいていない角度で世界を見ることは、出来ないかもしれない。

それでも良い言葉を良いと感じられる、友人の助けになるかもと思いやれる。
あの人と読む人の間に立って、受け渡す言葉を考えることができる。

言葉に悩み苦しんでいる自分だからこそ、受け取って渡せる言葉がある。

あの人の言葉で自分の世界を彩っていくことで、他人の世界に色を渡していくことができるのだ。


そう考えると思うのだ。


あの人の言葉でもいいじゃん。
二番煎じでも、いいじゃん。




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