仙台文学旅へ
サムネイル画像引用元:仙台文学館ホームページ「Ⅱ 震災と表現 ―― あの日、以前。あの日、以後。」
久しぶりの記事は、自分語りになってしまうと思います。私の今と、アートのお話です。
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先日Twitterで、知らないアカウントから突然DMが届きました。
RYOZENの活動の都合上フォロー外から連絡が必要な場合もあるので、DMをフォロー外の方にも開放していたんです。
その内容は、私が書いたデザインフェスタのボランティアスタッフを紹介するnote記事を見て、ボランティアに応募する決意を固めた、という内容でした。
フォロワーのみなさんはお分かりの通り、私はかなり長いことnoteを更新していません。社会人になり、田舎に引っ越して、東京の大学にいた頃のような想像力がなくなっていたのです。私の記事なんて誰も読まないと思っていました。
久々にダッシュボードを見てみると、書かなかった間ずっと、月の全体ビューが500を超えていて。てっきり書かなければ0とばかり…。
月並みだけど、書いて良かったな、また書こうって純粋に思ったんだよね。
DMをくれた方がボランティアとして参加する11月のデザフェスは、予定と重なったので残念ながら私は行けません。代わりに彼女がレポートを書いてくれたらいいな。
それをまた誰かが読んで、参加してくれて、そんな感じであり続けてほしいです。
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引っ越した田舎というのは、宮城県の南の方です。せっかく東北に来たので、ときどき観光に出かけています。
昨日、仙台文学館でこの作品に出会ったのは、必然だったのかもしれません。
青野文昭〈震災後荒浜で収拾したズボンから−椅子に腰掛ける人物の面影〉2014(133×50×50)
※撮影禁止のためホームページから画像をお借りしました。
この作品が目に入ったとき、ものすごく救われた感じがしました。人に見立てて積み上げられているのは、津波のあとに拾われた、誰のものかも知れぬ本の山です。
東日本大震災のとき、私は千葉にいました。それでも、まだ小学生だったこともあり、津波の映像にとても衝撃を受けたことを覚えています。
当時の私は、人が波に飲まれるのはもちろん、自分の大切な蔵書が流されてしまうことをとても恐ろしく思ったんです。当時から紙の本をアイデンティティにしていた私にとっては、命と同じくらい重要なことでした。
誰かが愛した本が、人の形をして新しい命を宿すこととなったこの作品はまさに、不安を抱えた私そのものでした。
もしいつか私のところに津波が来ても、流されてしまった私のもうひとつの命はきっと無駄にならないと気づいたら、私のnoteが無駄にならなかったと気付かされたあのDMを思い出して。
そうして今この文章を書いています。
先日も実家がある千葉で大きな地震があったけど、津波がなかったのは不幸中の幸いですね。余震などお気をつけください。
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おまけ。仙台文学旅でもうひとつ忘れちゃいけないのは、晩翠草堂ですよね。
詩人、英文学者の土井晩翠が最後に暮らした家で、都会み溢れる青葉通りの傍らにぽつりと存在します。
ここは、受付のお兄さん(おじさん)のマシンガントークが名物かも。15分くらい見て帰ろう、と気軽な気持ちで行ったら、同じ部屋で1時間も解説してくれました(笑)
土井晩翠といえば島崎藤村との交流!と思っていたら、同じ年に東京帝国大学英文科に通っていた夏目漱石とBL的な腐れ縁があったそうですね。大学を出たあとも、ことあるごとに漱石の世話を焼いていたとか。BLじゃなくて残念です。
もちろん、みんな大好き『荒城の月』のエピソードもステキでした。入館無料なので、詳しくは直接聞きに行ってくださいな。
今日はこんなところで。
デザインフェスタvol.54
📌東京ビッグサイト 西展示場
📅2021/11/13 - 11/14
📎公式サイト
仙台文学館
📌宮城県仙台市青葉区北根2丁目7-1
📎公式サイト
晩翠草堂
📌宮城県仙台市青葉区大町1丁目2-2
📎仙台市ホームページ
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