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【エッセイ】ゆきんこによせて

そういえば、東京では、ゆきんこを見かけたことがない。
子どもの頃、白い羽のはえたゆきんこを見れば
冬の訪れを感じ、
その小さな生物をどうにか手のなかに収めることができないかと
手のひらをかざしたものだった。
子どもたちは、たいていゆきんこが好きだったように思う。

どこかの地域では、ゆきんこを雪虫と呼ぶらしい。
「雪虫」と聞いた瞬間に、
私の中で、ゆきんこのイメージが崩れていく音がした。
ゆきんこは、妖精ではなくて、「むし」なのだ。

よくよく調べてみると、ゆきんこ、いや雪虫なるものの正体は
アブラムシだった。
夏に出会っていれば、私は、ゆきんこを嫌悪するに違いない。
アブラムシは、私が大切に育てているバジルにたかる害虫No1なのだ。
なんなら薬剤をかけてかなりの数のアブラムシを殺してきた。

人は、外見やネーミング(ラベリング)、そういった見えやすいものしか、見ていないのかもしれない。害虫のアブラムシだって、白い毛が生えて、「ゆきんこ」と名付ければ、誰からも親しまれる人気者になれるのだから。その本質がアブラムシだなんて、みんな考えもしないのだ(←いや私だけか?)。

そうだとすると、ネーミングはすごく慎重に行わなければならない。
これを誤ると、人々の認識を誤らせることだってある。

それが子どもの名前ともなってくると、責任重大である。名前は、その子が、自分自身を認識する仕方にも少なからず影響を与えてしまうと思うのだ。例えば、「誠二」君は、その名に負けぬ人間になれ、といつの頃だか大人に言われ、「誠実」な人間であらねば、と思いこまされるような現象って、多かれ少なかれあるはずだ(まぁ、誠実な人間であろうとすることは、いいことだと思うけれど)。


この、ラベリングという観点からいうと、出身地もラベリングになり得ると思うのだ。

というのも、私は東京に出てきてから、京都出身っていうと、
「やっぱり性格悪いの?」、「裏表激しいの?」、「ぶぶ漬けだっけ?」、「なんか怖ーい」(←これが一番腹立つ笑 理由もなく怖がるの?あなた)、といったセリフを、初対面であるにもかかわらず言ってくる人に結構な割合で出会ったからだ。

なんでこんなこと聞いてくるのかなと思ったら、どうやら『京都嫌い』とかいう、ピーな本がそこそこ売れていたらしい。さらに、「京都人」でネット検索をかけると、真っ先に「京都人が嫌い」だとか、「転勤で京都に住むのが怖くて不安だ」とかいう相談系の記事が結構な量あがってきた(普通にショックだった。ここまで嫌われてるって知らなかったから笑)。

だから、こういう質問をしてくる人に悪気がないことは分かった。
が、なんて返せばいいのか、実はけっこう困る。

「えっ、そんなの人によるでしょw」と正論をぶつけても、
 
おそらくそれは期待されていた回答ではないはずだ。
だから、私は、自分のなかの京都人な部分をフル回転させて、次のようなテンプレ回答を繰り返していた。

「一応市内出身ですけど、洛外で、昔は畑と田んぼしかなかったとこに住ん
 でたんです。だから、私、えせ京都人なんです~、おほほ
(心の内:それ初対面でいうんか。京都行ったらイケズされるやろなぁ)」
 
このように、まずは「いけずな京都人」のレッテル外しから始めるようにしていたのだ(ただ、この手段は姑息である。なぜなら、すべての責めを洛内の人間に押し付けているようなものだからである)。

しかし、この返しも、何度もやっていると、当然ながら面倒くさくなってくる。そして何より私がつまらない。だから、最近は、ある程度知ってもらうまで出身地を伏せるようになった。

そうすると、不思議なことに、どこかのタイミングで京都出身だとばれても
「えっ?あ、京都出身だったんだ」の一言で終わるのだ!


ネーミング(ラベリング)の力は、対象を知らないときは非常に強力だ。でも、その後、じっくり対象を観察して、その対象についてよく知れば知るほど、その力は驚くほど失われていくのだ。日頃から誰かがつけたラベリングに頼り切らないようにせねばならないと、改めてゆきんこに教えられた気がした。
         ありがとう、あぶらむしくん。

※余談だが、大阪、奈良、滋賀、兵庫など、関西圏の友人が、「うわっでた、京都人」とか言ってくるのはまったく気にならない。でも気にならないのは、そこには愛があって、お決まりの返しも存在しているからだ。


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一通り書き終えたあとで調べてみると、ゆきんこは、京都の方言だったみたいです。雪虫の方が一般的な呼び方だったんですね。新しいことを知れてよかったです。

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