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【エッセイ】人を好きになることについてちょっとだけ考えてみた

 その人のことが好きでなくても愛することはできるんだから不思議だ。例えば、親。別に好きではない。でも愛している。もし自分に子どもがいて、クソガキに育ったとしたら、きっと嫌いだけど、愛することにはなるんだろう。夫も、好きかと聞かれると、正直よくわからない。嫌いではない。だけど確実に愛してはいると思う。
 「好き」って、好きな食べ物・本・映画・色・服のように、どうしても惹かれて、それらに囲まれると楽しくて幸せになるものだと思う。親にめちゃくちゃ惹かれないし、囲まれてもめっちゃ楽しくもなりはしない。一緒に過ごしたからといって幸せ度数も大して上がらない。だけれど、大切にしたい人たちではある。
 私はおそらく好き嫌いが比較的激しくて、こだわりが強い方である。このような人間は、大好きになれる人に出会う確率がとても低くなるように思う。少なくとも、私は、生まれ育った場所で、同じ年代の人たちのなかから「好き」だと本当の意味で思える人にはついに出会うことができなかった(好きだと勘違いすることはあった←ややこしい部分。性的に惹かれるのと好きはまったく違う現象)。そして、そんな人に出会うには、10ヵ国以上旅をして、日本と違う国に住んでみる必要があった(それももう何年前の話だって感じではある)。
 愛は、そこまで大好きじゃなくても、同じ時間を過ごし、尊重してもらい、大切に扱ってもらっていると、そのうちにそういう扱いをしてくれる相手に対しても芽生えてくる可能性が大いにある。逆にか弱いモノを守っているうちに芽生えたりもするのだろう。なんなら本来的には嫌いな相手にだって愛をもって接することもある。
 だから、結婚相手も、たとえ大好きな人じゃなかったとしても、愛することができる相手ならまずまずなんだろう。正直なところ、人を好きになるよりも、人を愛することの方が簡単だとは思わなかった(もちろん、時間・労力は使います。感情の芽生えとして「好き」よりもイージーにでてくるという意味)。そして、愛する人がいれば、別に好きな人がいなくても結構平気である。
 こんなこと、誰も教えてはくれなかった。みんな人を好きになることの方が簡単であるかのように話すけど、それって本当なのだろうか。必ずしも「好き」があって「愛」にステップアップするわけではない。いきなり「愛」にひとっとびすることもある(←そんなの当たり前だろ、お前が無知なだけだとお叱りを受けるかもしれない)。そして、私にとって、時間はそれなりにかかるかもしれないが、「愛」にひとっとびの方が事象としてはよく起きるようだ。


 

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