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川野芽生『Blue』を読んだ

演劇部に所属するメンバーとの会話、舞台で披露する「人魚姫」の物語、演劇部に所属していたメンバーとの会話でお話が進んでいく。するする読んでしまった。

女の子でありながら男の子の身体で生まれた真砂は、高校生までは女の子として生きていたけど、その後、心に反して身体はみるみる男性に変わっていった。取り巻く状況的にそうならざるを得なかった。

真砂に葉月が必要だったという気付きにはっとした。身体はどうしようもなく男性になってしまって、仕事面や社会の中で生き延びるためにはきっと男性として生きる方が生きやすいことは分かってる。分かっていても多分そう簡単に折り合いがつくものではない。

不幸でかわいそうな女の子がいて、その子を守るために男性として生きる道を選んだと言えたら、自分を納得させられるかもしれない。
陸で生きるべく生まれた人魚姫は、孤独な王女に寄り添うという理由付けで、人間になる薬を飲んだのかもしれない。

自分がどうあるかという問題に、もしくはその分岐に他者が必要で、一番都合の良い近くの人間を頭の中でこねくりまわして利用していた記憶が私にもある。自分が変わるだけなのに、なんで他者が必要だったんだろう。

変わった素敵な理由付けと、その後の肯定がほしかったんだろうか。容易にぐらつく自己だけじゃ頼りないから、他に理由を求めてしまうんだろうか。普段はあの物言いは気に食わない、あれはしたくないしこれもしたくない、これは素敵であれも素敵とわがままばかりの自己なのに、肝心な時には頼りない。

好きとか嫌いとか、あれがしたいとかこれがしたいとか、自分主体のことは自己完結できるから自己の独壇場だけど、こうありたいとかいう話になると、周りからの目線とか、どう見られて社会的にどういう影響があって、それが自分が今後生き延びることにプラスに働くのかマイナスに働くのか、そこまで関係してくるから、まやかしの恋愛感情でも羨望でも生み出して、他者を介在させて判断してるんだろうか。むずかしい。

下記、葉月の言葉が爽快だったので引用。

「頼んでもないのにアドバイスしてくる人って、無意識に自分が相手より賢いと思ってるよね。だって自分の問題って一番当人がわかってるわけだよ。一番判断材料を持ってて、一番向き合ってる時間も長くて、それでも解決できてないのはそれなりの理由があるわけ。それをちょっと聞いただけの他人が解決できるはずないの、普通に考えたらわかるでしょ。」

私は人にアドバイスをしません。されたくないので。

ある人がどうありたいかだって、多くの人が適用しているテンプレートがあるだけで、決まりきった型があるわけではない。じゃあ人が二人出会って関係を持つ時、それだって同じなんだろうな。友達とか恋人とか夫婦とか、型にはめるべく成される関係もあれど、そうでなくてはならないわけではない。たまたま型にはまっているだけの側が、自分たちに合ったあり方で、自由に素直にあろうとする人たちを非難するのはいやだな。

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