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心臓が ん゜ぎょえェーっ ってなった音楽 てれかす 『ぬるぬる』

片足で立つ。自分でも驚くほどに翳った蒼のロープの上。Webセーフカラーの紐と足。
誰もいないのに焦って。ずっとずっと終わらない。
とめどない不安、劣等感。逃げられないまま、がんじがらめだ。

この先には何があったっけ?―――もう思い出せないや。

「ぬるぬる」

毎度のことですが、生きとし生けるもの、みな聴きましょう。
最高なんですよね…。深夜0:46にこの文章を書き始めるためにもう一度聴いたらぶっ飛びました。

というか、この文章を書くのにいろいろ調べてメモをとっていたのにそのメモを紛失してしまった。だからいつも以上に生の感想に仕上がると思います。ちなみに今回も歌詞を枝葉末節から読み解きます。

※これは解釈の一つです。 ←これで自由に書ける

1.IFから

歌詞やタイトルは洗練のもとできています。例えば「ぬるぬる」。これも、歌詞中の「鬱屈」や「曖昧」などの堅苦しい表現をタイトルとして起用するのではなく、あえて「ぬるぬる」のような柔らかな表現を用いることで、より親身に感じさせるという効果を生みます。

以上のように、もし〇〇という表現だったら、を考えます。

①鬱屈:憂鬱、鬱憤

繕って 笑ったって
救われたくて
叫んだって
ぬるぬるとした鬱屈は
こびりついては落ちないな

難しい漢字が見出しに並んでしまいました。テストで出たら国語教師にブーイングの嵐です。ちなみに私は書けます。ざまみろ

ともかく、この言葉選びにも意味があるはずです。語彙力はあまり関係しません。現に、憂鬱や鬱憤は過去の同氏の曲で使われました。(「都電」、「バーチャル六畳半」、「lens」)
後に出てくる「哀しみ」は同様に過去に使われているので、鬱屈が選ばれた理由は過去に使われていないからでもないようです。それ以外の理由を考えてみましょう。

それぞれ漢字ごとの意味を切り取ります。(熟語中の意味を中心に)

憂…うれえる。思いなやむ。心配する。
鬱…ふさぐ。ふさがる。気がはればれしない。
屈…くじける。負けてしたがう。ゆきづまる。きわまる。
憤…いきどおる。はげしく腹を立てる。
【出典】漢字ペディア https://www.kanjipedia.jp

以上から考えると、
・もしも「憂鬱」であれば、なにか明確な心配事があるように感じます。
・もしも「鬱憤」であれば、なにか元気さ・強さがあるように感じます。
ゆえに、漠然とした不安、絶対的な弱さに打ちひしがれる様子を示すために「鬱屈」が選ばれたと考えられます。

次の項への導入を兼ねて、太宰治「鬱屈禍」の中で引用されたジイドの言葉を以下に記してこの項は終えます。

「大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害が踏切台となる者であります。…芸術は拘束より生れ、闘争に生き、自由に死ぬのであります。」

②攻城戦:籠城戦、攻防戦

はいはいはいほら繰り返す
頭の中の攻城戦
だいたい全部があとまわし
アラームが鳴っている

ひょっとすると、ここを「攻防戦」だと思いこんでいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。そんな方は私と握手して下さい🤝

攻城戦という言葉を聞いたことがない人も多いのではないでしょうか。これは状況としてはいわば、籠城戦(篭城戦)や兵糧攻めと同じです。典型的なジリ貧作戦。追い詰められて、絶望的な状況。文字通りの四面楚歌―――そんなイメージが強いことでしょう。

では、今回の歌詞においてもその解釈は当てはまるのでしょうか?答えはいいえです。というのも、今回は「攻城戦」です。以下に違いを記します。

攻城戦:主に城を「攻める側」からの表現。
籠城戦:主に城を「守る側」からの表現。

攻城戦における城(敵)を、周りからの白い目線や迫りくる艱難辛苦として捉えます。すると、以下のようなことが言えます。

歌われている人物像は、周囲を精神的苦痛や絶望で囲まれているのではない。むしろ、その
彼は逆境に自分の持てるだけの希望で相手を陥落させようと、全身全霊で戦っている真っ最中なのだ。いつか、もっと大きな何かになるために。

2.本歌取りから

今回、過去の歌と重なる表現が多くありました。
ざっと見たところでも、

・『曖昧な言葉が』→「スペースさんま」『アイマイナコトバ』
・『狭い部屋』→「バーチャル六畳半」・「サーキュレータガール」『四畳半に』
・間奏のPV→「都電」『憂鬱な朝を 四角で切り取っていく』
・『言葉遊び』→「都電」『言い換え』
・『埃と舞うだけ』→「ふんわりディスコード」『埃を飛ばそう』
・『力を抜いててきとーに』→「ポピ横の狂人」『頑張らなくても いいよね』

上の項をすべて考えてたいのですが、それをするには余白が少なすぎます。その中でも、特に際立っていた「ふんわり」に対する新定義を考えてみます。
それは以下の部分です。

ふらふらな足取りを
ふんわりと呼んだりさ
言葉遊びじゃ
どうにもならない事が増えたな

これ!!!!!!!!!!!!!めっちゃ衝撃なんですけど!!!!何~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!???????

「ふんわり」はてれかすさんの作品において重要なファクターを担っています。例えば、「#ぶいちゃでいちゃいちゃ」では『今日も生活を ふんわりとすすめようか』とあります。「kuso.domains」の冒頭では洗濯機のガイダンスに「ふんわり乾燥」として出てきました。「ふんわりディスコード」のように曲名を冠している場合もあります。
それらの曲はたいてい希望に満ちています。単語の響きからも、理由もなくポジティブに捉えていた方も多いでしょう。私もそうでした。

だから、「ふんわり」はネガティブな単語だと明確に定義された時、正気を失いそうになったのです。「ふんわり」はおぼつかない足取りをごまかす言葉である。「ふんわり」だけではどうにもならない。そう断言されたのです。

そうなると「ふんわり乾燥」とは、「無味乾燥」のメタファーなのでは?日々に面白みのなく、死んだように生きる現代社会のリビングデッドを揶揄しているのでは?―――考え始めると止まりません。

3.流れ図から

では、この曲全体においてもネガティブ感情を歌った曲なのでしょうか?少し冷静になって検証してみましょう。

この曲の流れ図(フローチャート)は以下のようになっています。

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論説文も小説も歌詞も、基本的には一番強い主張が最後に来ます。(オレンジ色の部分が一番強い主張)
今回の曲全体を通しての主張の象徴はサビ。サビはもちろんネガティブです。よって、「ぬるぬる」は全体を通してネガティブな曲だ。そういった推論ができそうです。

ですが、果たしてこれは正しいのでしょうか。もう少し考えてみましょう。

サビ、そして二番の冒頭である以下はもちろんネガティブでしょう。

ふらふらな足取りを
ふんわりと呼んだりさ
言葉遊びじゃ
どうにもならない事が増えたな

しかし、考え方を変えてみましょう。最後のサビはただの繰り返しである、と。(この考え方は結果からの逆算ですが)そう考えると流れ図は以下のようになります。

画像2

この図によると、一番最後に出てくる新しい要素(≒一番強い主張)は以下になります。

そろそろ最悪しか起こらないことは
もう十分にわかったでしょ
君が流した涙の味なんて
どうせあいつらにゃ分かるまい
力を抜いててきとーに
花束供えて絶望に
それぞれの哀しみは
それぞれのためだけに

…はたしてこれも否定的・消極的な感情でしょうか?いいえ、むしろ肯定的な感情です。

この説明がしっくりこないならば、以下のようにも考えられます:サビをすべてまとめて「最悪しか起こらない」と表記した後、一番のメッセージを直後に持ってきている。すなわち、サビは主張のための理由。

ともかく、最も注目すべきはここであると言えます。さて、放置していた問題にここで戻ります。

4.「ふんわり」はネガティブなのか?

これの答えを出すには、曲ごとに整合性とかちゃんと考えるべきです。しかし、それを差し置いて推論をします。

私の完全な解釈ですが、「ふんわり」はポジティブワードだと考えます。

なぜでしょうか?
この曲には、『言葉遊びじゃどうにもならない』とあります。しかし、『ふらふらな足取り』を否定はしていません。これを意図的に断定するのを避けていると考えるならば、私はそこに希望を感じるのです。

つまづいて、ころんで。ふらふらになって、たおれて。それでも歩みだけは絶対に止めない。止まらない。何があろうとも、前後左右さえわからなくって、苦しくなっても、もがいて、心を摩耗させ、葛藤しながら足をすすめる。
そんなことばかりの繰り返しの先にあるのは、孤独な自壊だけだ。
「ふんわり」と日々をすすめる自分を自覚し、時には人に迷惑をかけないように手を抜きながらも、よりよく生きる。それこそが一番必要なことなのだ。

ゆえに、「ふんわり」は人がより充実した人生を送るための、一番やさしい言葉なのだ―――そう、思えませんか?

5.以上から

最後になんですけど、この場をお借りして…。Funwari Laundryに行ってきました。(てれかすさん×ozenさんのコラボワールド)

https://vrchat.com/home/world/wrld_dbf2aad5-bcc2-460a-90ca-4dee2d49b772

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このワールドの特徴として、「深夜」があります。人の気配さえ感じられない深夜の、ぽつんと、一人ぼっちのコインランドリー。それこそがFunwari Laundryなのです。外界と完全に隔絶されているはずなのに、退廃的じゃない。むしろ、心穏やかで、どこか温か。

「ふんわり」。それは、きっと誰からも縛られないものだと思う。きっと一人ひとりの心のなかにあって、それでいて皆忘れている。でも、みんながいつでも思い出せる。具体的ではないけど、確かな存在。
それこそが「ふんわり」である。そう思える、素晴らしいワールドでした。

長々と書きました!!!!!!!!読んでくれてめっちゃありがと〜~~!!

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