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見ることを描く、へのあくなき探求│デイビット・ホックニー展

名前を知ったのはここ数年だけど、彼の絵は15年に見たときから記憶の片隅に残っていた。それは美術の資料集のポップアートのページに載っていた『両親』だった。この絵の不思議な立体感とあたたかさが印象的で、いつか本物を見てみたいと思っていたのだ。

あれから十数年。ついに『両親』を見ることができた。でも本物のホックニーは「ポップアートの画家」じゃなかった。彼はあたたかくてお茶目で、「描くこと」の可能性を探求し続ける生粋のアーティストだった。

展示で感じるホックニーの変化

東京都現代美術館に到着したのは金曜の19時。かなりの人で賑わっていた。展示は基本的に初期から晩年の時系列だけど、異なる年代の作品が並列されてる箇所あって、ホックニーの変化を楽めた

初期のホックニーは一言でいうと「暗い」。同性愛が非合法だったイギリス社会で、生きづらさを感じる繊細な若手画家。そんな印象が伝わる作品が多い。例えば『3番目のラブ・ペインティング』ではウォルト・ホイットマンの詩を引用して自分の言葉では表せない主張をし、『1度目の結婚』は、結婚制度に対するアンチテーゼを感じられた。

3番目のラブ・ペインティング(図録より)

そんな彼の作風は、アメリカへの移住を機に一変した。展示でもアメリカ以降のパートに、よく知られるホックニーの作品、つまり明るい色使いに日常を切り取った作品の数々が並んでいた。

そしてついに『両親』の絵も観ることができた。絵から温かさが伝わる、とても心地良い空間だった。これを含め、彼の作品を見ていると絵の中に入り込むような感覚になる。これは実物でないと味わえない。

「物事は多角的に見れる」というメッセージ

「見ることを、どう描くか」ひたすら探求しているホックニーは、時代によって描き方が変化していっている。それは時に度を超えていた……

元々、創作活動に写真を補助手段として使用してきたホックニーだが、80年代に入ると『龍安寺』のようなフォトコラージュも制作しはじめる。『龍安寺』は遠近法と正反対の手法で、ずっと見ていると自分もその場で砂利道を歩いている気分になる。かなり不思議な作品だ。

フォトコラージュの制作には時に数千枚の写真と膨大な時間が費やされており、彼の探究心が伺える。その後も同じ風景を異なる角度から描いたシリーズ制作や3000枚以上の写真を組み合わせた『スタジオにて』など、「いかに視点を拡げ、遠近法から脱却できるか」に挑戦していた。

彼の作品からは「物事は多角的に見れる」というメッセージが伝わってくる。作者の視点を排除し、鑑賞者が主体になることを促す。彼自身が見えている世界を「そのまま」見てもらうことにこだわったのだと感じる。

ゆえに、彼の作品には光と影の明暗が少ないのも特徴だった。一方から見ると「光」でも、他方からは「影」にもなるから。

晩年もあくなき探求を続ける

近年ではiPadによる創作活動も盛んで、展示でも楽しむことができた。iPadでの創作過程をゼロから映した動画はずっと見ていたいくらい。(実際、このブースには多くの人が溜まって常に混んでいた)

晩年の作品からは、穏やかで日々の変化を楽しむ彼の眼差しが伝わってきた。これまで「絵画は絵の具でないと」と思っていたけれど、iPadの作品からも温かさが伝わってくるのが驚きだったし、一気にこの分野への興味が湧いた。

特に最後の70mの絵巻は彼の「描くこと」への執着というか、まぁとにかく絵が大好きなんだなぁ……というのが伝わってくる。そしてそこまで好きなものがある彼を、羨ましくも思った。


図録では絵巻の展示も再現されている

作者も鑑賞者も楽める(Enjoyrable)作品

最後に。ホックニー作品の特徴として、彼自身の「怒り」や「悲しみ」のような、マイナスの感情が描かれていないことがある。実際に彼自身もインタビューで「創作活動は楽しめること(Enjoyrable)が大切」だと語っていた。

1960-80年代は彼自身にとって必ずしも「楽しい」時代じゃなかったはず。だからこそ、創作だけでも楽しむことが何よりも大切だったのだろう。

売店で買った『両親』のポストカードは玄関に飾り、観るたびに心があたたかくなる。コンパクトな図録は眠る前に眺めると、なんだかいい一日を過ごせた気分になる。彼の作品は、観る人を幸せな気分にさせる。


開くたび幸せになる図録

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ホックニーが今回の企画展について語るインタビューがなかなかおもしろいので貼っておく。『龍安寺』の制作過程の変態ぶりと、最後の素敵なメッセージが見どころ。


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