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たのしいがない日は、生きた気がしなかった

毎日楽しいなんて 毎日楽しくないのと同じ

UVERworld の ハルジオン という曲の一節。


平凡な日と、たまにある特別な日

そういう 波の中で生きていて、
学生なら学校、社会人なら職場
そういう時間や立場的な制限がある場に属する限り
波には逆らえない。

起きて 学校へ行って バイトへ行って 寝て、
そんなルーティンのような日は必ずある。

どこかうまくいかなくて、
なんでこんな苦しいのに生きてんだって、
そんな日も必ずある。

そんな何度も押し寄せる波に身を任せるだけの人生は、死んでいるも同然な気がしていた。

でも、最初に挙げたフレーズの後にこう続く。

間違ったこともやって ボロボロだったあの日々が
今思えば俺たちの全てだったよな

なんだか、急にハッとした。

わたしは、
生きていて 楽しかったこととか 凄かったこととか
そういう名シーンみたいな部分だけを人生だと思っている節があったのかもしれない。と思った。

だから、思いどおりにならない自分 落ちぶれた自分を自分の人生として認められず、責めていた。

でも、違ったかもしれない。
映画だったら早送りされるような
どうでもいいようなシーンをゆったり彷徨っているのかもしれない。

間違いなく、それも人生だね たしかに

最近 人間が長生きする理由ってなんだろうと思った。

気を病んでいなくても定期的に思うことだった。

楽しいことがあっても、辛いことがあっても
それこそ人間は必ず死ぬのに
生きる理由とは、なんなんだろうと。

今までは 死ぬのが (物理的に) 怖くて不可能だからだと思っていた。

でも、最近もうひとつ思ったこと。

人が生きるのは、
一緒に生きる人がいるからだ ということ。

家族 、友達 、恋人 、
そういった大切な人が生きている限り
大切な人が 自分を大切にしてくれている限りは
自分も与えられた愛情を返していきたい。

死ぬことは、その愛情を捨てることなのかもしれない。

だから生きているのかもしれないと、
ふと思うようになった。



3年前、一夜で眠るようにして亡くなった祖父のことを思い出す。

祖父は人を大切にする人だった。
先に亡くなった祖母に毎晩お経をあげていた。
人から慕われ、でも、きちんと叱る人だった。

人生のなかで関わる人に最後まで愛情をもって接していた。

そんな人だったからこそ、安らかに 逝けたのかもしれない。


祖父があの空にいるから、
わたしは上を向いて歩いていく。

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