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【短編小説】三週間だけの魔法をかけて

間近に結婚を控えている人とネイリストの精神的百合小説です
百合です!!!(重要)

バタイユらの現代思想&椎名林檎《女の子は誰でも》の混合物
(こいついっつもバタイユの話してんな)

片方に婚約中の彼氏がいる設定ではありますが、女→女のクソデカ感情を描いているので、私的には百合だと思っています

合わない人は帰ってくれよな!!

以前はpixivに上げていた作品ですが、「なんかpixivの雰囲気とちゃうな」と思ったのでこちらに移してみました。
なお、現在pixivの方は非公開にしております。


 シアーな指先に小さな金色のパーツが乗せられる。
 ほんの一瞬の、ささやかな贅沢。僅かばかりの煌めき。心躍る刹那。

「…わたし、今度結婚するんですよ」

 何気なくそう呟くと、私の爪にアートを施していた芽衣子さんは、驚いた様子で顔を上げた。

「わ、そうなんですね。おめでとうございます!」
「ふふ、ありがとうございます」

 そんなお決まりの会話を交わしてから、一寸ためらって切り出す。

「それで、結婚したら、ここには中々来れないかもしれないなぁ、と思って」
「それは……少し寂しくなっちゃいますね」

 そう、私は今日、半ばお別れを言うつもりでこのネイルサロンに来たのだ。

「だから、その、今日はとびきり可愛くしてください」
「ええ、もちろんです」

 芽衣子さんはにっこりと笑みを浮かべる。私はうつむいて、サーモンピンクと金色で彩られた指先を見つめる。ジェルの塗られた爪はちゅるんとしていて、ぴかぴかだ。
 ああ、贅沢だなぁ。ネイルって。だって、こんなにお金も時間も手間もかかっているのに、3週間くらいでオフするんだよ。ほぼ完全に自己満足の世界だし。仕事とか効率とか生活とか、そういうことばかり考えていたらできないよね。

 ……というより、「女の子」という存在がすでに一種の贅沢なんだろうな。一日が終われば解けてしまう、メイクとヘアセットの魔法。シーズンごとの流行の服。長時間歩くことを前提としない靴。パンプスにハイヒール。小さなバッグ。さりげない華奢なアクセサリー。
 それだけじゃない。かばんの中のちょっとしたお菓子。タブレットにグミ。マグボトルの中のコーヒーや紅茶。翌日には何を話したのかも憶えていない、友だちとのおしゃべり。女子会。旅行。SNSのキラキラした写真。単なるモノを超えた付加価値。

「かわいい」の衝撃。

 この一瞬のときめきのために、私たちはときどき、命をかける──フリをする。だって、今日ここで死ぬわけにはいかないもの。ときめきは余り物だよ。人として生きるために必要なことをやって、その余りで浪費してる。贅沢してる。それだけ。ちょっとしたムダが人生を豊かにするってやつだ。余剰がない人生は息苦しくて、虚しすぎるから。

「ところで、どんな方と結婚するんですか?」

 芽衣子さんは手を止めることなく尋ねてくる。
 ああそうだ。結婚、結婚の話をしていたのだった。

「取引先で出会った……んー、まあ普通の人、ですね……」
「あ、家事には協力的かも」

 そう。私は、もうすぐ普通の人と普通の結婚をする。別にそのことに対する不満はない。私も普通の人間だし。お互いに、そこで高望みはしていないはずだ。
 ただ、結婚というものについて考えると、それは一種の規則化で習慣化なのだと思う。結婚生活はルーティーンでできている。同居、生活費の折半、家事の分担、性生活。これらは全て規則化されていて、守れなければ「性格の不一致」や「DV」や「セックスレス」などといった名のもとに糾弾される。
 この点、結婚という枠組みに曖昧さはない。私たちは自由と贅沢、ちょっとした破滅の味と引き換えに、漠然と、安定したレールの上の人生を望んだ。利害の一致。合理的な損得勘定。生活や仕事といったものの仲間。それが、これから私たちの向かう先だ。

 多分、「女の子」とは正反対。

「え〜、家事に協力的なの、いいじゃないですか!」

 芽衣子さんは少女のように笑う。笑って揺れる彼女の身体からは、香水だろうか、フランボワーズとピンクシャンパーニュの甘く爽やかな香りがした。
 ああ──ふんわり赤いグラデリップ。偏光パールの入ったアイシャドウ。整えられた色素の薄い眉毛。時間をかけてセットされたふわふわの髪。そして、数週間だけの魔法がかかった爪──綺麗な人。キラキラとして贅沢な「女の子」の化身だ。

「はい。私も仕事が忙しいので、彼が家事をやってくれて助かってるんです」

 彼が、家事を、助かる──ほとんど上の空で答えていた。芽衣子さんの手元に見惚れていたから。今は、家のこととかどうでも良かった。
 …ねえ、芽衣子さん。貴方って魔法使いみたいだね。本当に楽しそうに「女の子」をしていて、一分の隙もなく、私を日常生活から連れ出してくれるもの。家事とか家計とかそういうの、何もかも忘れさせてくれるでしょう?
 ごめんなさい、こんなことを思って。貴方だって、見た目に気を遣うのが面倒くさいと思う日が、きっとあるのに。私もきっと、貴方の纏う美のベールの表面を引っ掻いているだけなんだろうね。

「ね〜。わたし、昔結婚を考えていた人が、全然家事をしてくれないタイプで……」
「それ、困りますよね。『ねえ、ちゃんと生活すること考えてる?』って言いたくなる〜」
「ですね。まあ、別れる前に『料理って、何もないところから勝手に出てくるわけじゃないんだよ』って、言ってやりましたよ」

 けれど芽衣子さん、あのね、私は「女の子」であることがただのルーティーンになってしまう日も多いんだ。
 毎朝早起きして、メイクするのは面倒くさい。みんな当たり前にやっているけど、毎日落としてスキンケアまでしなきゃいけないなんて、かなり「無駄」が多いじゃない? 儚いものだよ。砂の城みたいだ。
 ヘアセットも大変。ブローしてヘアオイル。それとスタイリング剤。いつも「なんでこんなに癖っ毛なんだろ?」って思う。
 パンプスだって、履きたくない日が多いよ、そりゃあ……痛いし。

「こっちだって、料理したくない日もありますもんね〜、普通に」
「ね。でも一回『どっちがこれをやる』っていうのがなんとなく決まっちゃうと、そのままズルズルいっちゃいますよね〜」
「それ、最初は善意でやっていたことも、『やって当たり前』にされちゃうというか……」

 けど、一回「女の子」になったら、大抵はそこから降りられないでしょう? だから、気乗りしない日もしぶしぶ女の子をするの。分かるかな。空無を、余剰を、毎日纏うんだ。習慣として。…ほんと可笑しい、バカげているよね! これ以上のナンセンスってそうそうないよ! あはは!!
 だって、習慣的に、規則的に「贅沢」をするのなら、それってもう贅沢じゃないじゃん! もうそれって、日常とか仕事とかの仲間でしょう? 「贅沢」した方が人に好かれるから──ううん、「贅沢」しないと人に嫌われるかもしれないから──だから、日々おしゃれと自分磨きに勤しむ。普通にプラスして、ちょっと優しく、周囲に気を配る。冷静な損得勘定に基づいてそうしている。
 それで、半ば義務づけられたピンクベージュのリップでミーティングとか面談とかするんだよ! でもって、夜になったら、疲れた顔でメイクを落としてナイト「ルーティーン」をするの! おっかしい!!

「こういう話聞くと、特に結婚とか考えてるなら、こまめに不満とか伝え合わないとな、って思います」
「うん。そうしないと、どっちかが不満をため込んで、結局別れることになっちゃいますからね〜」

 結婚したら、もっとルーティーンになるんだろうね。妻である、ルーティーン。
 私はちゃんと、彼のことが好きだよ。でも、そこにときめきはない。私たちは互いに矩を踰えず、ほどほどに距離を置いて、理性的に話し合って二人のルールを決める。ときどき、かっちりと区画整理をする。「私はこれをやるから、貴方はあれをやってよ」云々。
 今日も明日も明後日も続く仕事に備え、体力と精神力を回復するための拠点。貯金やら家財やら備蓄やらを蓄積するための拠点。もしかすると、次世代を再生産するための拠点。基本は、合理的で生産的。私たちの家は、そういうものになるんだろうな。
 もちろん、これって悪いことじゃないよ。自分が「家」に囚われた可哀想な存在だとも思わない。そもそも、自分の意志で決めたことだしね。派手に浪費できないという悲劇に酔うのはお門違い。ただ少し、灰色だな、と思っただけ──爪の金色が眩くて、サーモンピンクが可愛かったから、尚更。

 とりとめのない会話は続く。
 家事のこと。恋人のこと。仕事のこと。

 …ね、芽衣子さん。最後に、どこかに連れ出してよ。
 私を極北の氷塊にかかるオーロラで彩って。大聖堂の窓に嵌め込まれた極彩色のステンドグラスでもいいよ。太陽でも月でもいい。東雲でも、白昼でも、黄昏でも、真夜中でもいい。なにか美しくて、息を呑むようなものが見たいの。
「ここじゃない世界」の魔法で変身させて。理性の灰色の世界から、言葉のないカラフルな世界に連れて行って。お砂糖とスパイスでできたキラキラの爆弾で、言葉も、計算も、境界も、将来への配慮も──何もかも全部吹っ飛ばしてちょうだい!
 そうしたら私、今日のことを心の奥底に大切にしまい込んで、たまに取り出して眺めては、平気な顔してルーティーンだらけの毎日を送っていけると思うんだ。

「はいっ、これで完成です!」

 最後に塗ったジェルを硬化して、芽衣子さんは言った。

「わ、やっぱりネイルが新しくなると、気分が上がりますね〜」

 完成したネイルを眺めてみる。時間をかけて丁寧に、カラージェルとパーツとクリアジェルで仕上げられた、数週間だけのラグジュアリーの鎧。芽衣子さんが私にかけた上機嫌の魔法。
 指を軽く前後に動かしたり、見る角度を変えてみると、金のパーツとシェルが散りばめられたサーモンピンクの爪は、様々に表情を変えた。幾何学的な形をした金のパーツをじっと見ていると、それだけで絵画の飾られた美術館にいるような気分になる。シェルが強く煌めくと、波間に散った白日を連想する。サーモンピンクはマジックアワーの空にも、グレープフルーツ味のグミにも、かわいい女の子のアイメイクにも見える。それに、形の整った丸くて長い爪があるというだけで、もう魔法少女の指先みたい。

「綺麗」

 …けれど、常識の範囲を出ることはない。
 これはネイル「アート」だけど、アートのことだけを考えて生み出されたデザインではないからだ。例えば、会社でも浮かないように。生活に支障が出ないように。家事ができるように。どんなファッションにも合うように。そういったことも考えて、このネイルはデザインされている。
 実生活という「制限」の中で施されたネイルアートは、贅沢だけど、私を人間の身体と生活の外側にまでは連れて行ってくれない。

「…今日はありがとうございました! これで明日からも、お仕事頑張れそうです!!」

 愛想を良くして、芽衣子さんにお礼を言う。
 これは仕方のないことなのだ。現実問題、私は今日、帰って料理と食器洗いをしなければならない。明日は仕事だ。そして、この先も生活は続いていく。
 派手すぎる色使いや大きすぎるパーツに特殊なパーツ、長すぎる爪は、生活していく上で邪魔になってしまう……悲しいけれど、贅沢の中にも「日常」への常識的な配慮は混じらざるを得ないのだ。

「うふふ、良かった。お仕事頑張ってくださいね!」

 ああ。お砂糖とスパイスの爆弾で吹っ飛ばしそこねた「日常」が、呪いのように私を追いかけてくる。もう吹っ飛ばしきれない。サーモンピンクの魔法も、金色の武器も、シェルの鎧も、「日常」という状態異常には無力なんです。

「えへ、頑張ります」

 でも、日常に戻らないと、人は生きていけないもんね。ときめきは「余り物」だよ。実際、生活が破綻してしまうほど浪費し尽くすことはできないんだ。
 …いや、できるけどしないだけかも? だって、別にこの一瞬に命をかけなくても、また違う機会にちょっとした贅沢をすれば良いんだから。結局私たちは、決定的な破局を迎えることなしに、僅かばかりの破滅を味わいたいだけなんだろうね。そして、そのためにどうすれば良いのかを知ってもいる。

 それが、女の子の強さと「ズルさ」なのかな。

 私は立ち上がってお会計を済ませる。芽衣子さんに見送られながらサロンのドアを開け、春の木漏れ日を全身に受けつつ、振り返った。そして、こう伝える。

「ありがとう、芽衣子さん」

 私を非日常に連れて行ってくれて。そして、日常に連れ戻してくれて。
 キラキラの爆弾は、何もかも吹っ飛ばしてくれたわけじゃないけど……私、今日という日を、貴方がかけてくれた3週間の魔法を、きっと忘れない気がする。
 楽しかった。「女の子」でいられて。良かった。「女の子」から戻ってこられて。
 芽衣子さん。私の魔法使い。そして、私の憧れの女性。だいすき。

「ふふ、どういたしまして。…彼氏さんとお幸せに!」

 芽衣子さんは、魔法使いのあの笑みを浮かべて、そっとサロンのドアを閉じる。
 私はそれを見届けると、前を向いて歩き出した。

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