見出し画像

uniとomni

少なくともヨーロッパに限れば、普遍性には二つのタイプがあるように思われる。uniとomniだ。

一つ目のuniだが、これは「ただ一つの価値体系に統一された世界を普遍的なものとする」ような普遍性といえば良いだろうか。時代でいうと近現代、国でいうと近代国民国家、建築でいうとル・コルビュジエみたいなタイプだね。情熱に浮かされ、肉体を捨てて「一つの理想」に向かって飛翔していくようなイメージ。
連想される単語は「単一性」「普遍性」「理性」「秩序、静謐」「革命、改革」「明朗さ、軽やかさ」「機能性」「閉じていて完成された世界」「分析による最善optimum via resolutionis」辺りかな。

二つ目のomniについては「ありとあらゆるものを取り込んで形づくられる宇宙を普遍的なものとする」ような普遍性である。時代でいうと中世から近世まで、国でいうとハプスブルク家の神聖ローマ帝国、建築でいうとガウディみたいなタイプだ。泥にまみれて行軍する兵士のように、寡黙に一歩一歩大地を踏みしみて進む重々しさがある感じね。
イメージされる単語は「多様性」「個別具体性」「感情、信仰」「無秩序、躍動」「伝統」「薄暗さ、重苦しさ」「装飾性」「開いていて延長される世界」「複合による最善optimum via compositionis」とかかなぁ。

さて、この記事は山崎正和の『装飾とデザイン』にインスピレーションを受けている。
では、山崎はこの本の中で何を主張したのか。それは「デザイン/装飾」「規則性/混沌」「統一性/部分の反乱」「基本形/飾ること」の対比と、「前者が普遍的/後者が具体的」であるという位置づけだ。

しかし、私の考えは少し違う。「山崎は前者だけが普遍的というが、両者は性質が違うだけでどちらにせよ普遍性なのではないか?」──そう思ったのが、私がこの文章を書き始めた理由の一つである。
実のところ、性質の違う二つの普遍性(開かれた感じ、延長性といってもいい)が部分部分で逆転をくり返して、混じり合っているのが西洋の歴史なのだ。

例えば宗教──キリスト教一つとっても、時代によってomni的な普遍性なのかuni的な普遍性なのかは異なるといえる。
我々が「キリスト教の歴史」と聞いて一般に思い浮かべるのは、やれ異端審問やら宗教改革やら魔女狩りやら、物々しい内容が多いだろう。が、これらは全て「正統は一つだけで、他は存在すら許されない」と考えるuni的な普遍性に由来しているのである。そしてこうした普遍性は、どちらかといえば新しい種類のものなのだ。
それに対し、近世辺りまでの比較的古い時代に見られたのはomni的な普遍性であった。こちらの普遍は「批判や異端をも取り込んで緩やかに取りまとめるのが普遍カトリック」という価値観を持っていた。だからこの時期のカトリックは異端にも比較的寛容なのだ。人文主義なんかが典型的といえる。つまるところ、異端の激しい排除は比較的新しい現象なのである。

また、カトリックにおけるomniからuniへの移行期は、ヨーロッパの普遍権威が中欧のオーストリア・ハプスブルクから、さらに西のスペイン・ハプスブルクへと移動していく時期に重なる。16世紀も後半──マクシミリアン2世を経て、ルドルフ2世辺りからだろうか。
この時期になると、神聖ローマ皇帝のような普遍権威の力には陰りが見え始め、ヨーロッパ全体に「普遍言語たるラテン語ではなく、その地域固有の俗語で政治が行われる領域国家」という想像力が生じてくる。──後に「国語」「国民国家」へとつながっていく想像力の誕生にして、「近世」の到来である。

中近世くらいまでのヨーロッパにおいて、地域や言語に関係なく「すごい!」「えらい!」とみなされていた権威のこと。その国の国王よりも立場が上と考えられていた。具体的にはローマ教皇と神聖ローマ皇帝。

「普遍権威」とは?

ちなみに、カスティーリャ語のみを話し、宮廷にこもって政務に専念したスペイン国王フェリペ2世も、大体この頃に登場している。
それまでのオーストリア君主が「自分が統べる国々のあらゆる言語を操り、各地の領民と言葉を交わせる」ことを誉れとしていたことを思えば、「一つの言語しか話さない文書主義の国王」がいかに特異な存在であったかが分かるね。

だからこそスペインは、高校の世界史で「ヨーロッパで最初の覇権国家」として紹介されているのかもしれないな。しらんけど。
今日いわれている意味での「国家」の思想上の故郷は──オーストリアを盟主に据えた中東欧世界ではなく──スペインにあったんだろうね。
そして、現在でも世界史の授業における中東欧の扱いが軽いのは、「uni的な近代国民国家への発展」という物語になじまないからなのかもしれない。
とはいえ、こういう「物語」を作ったのはスペインですらなくて、その後に覇権を握った新興のプロテスタント的商業国家(オランダ、イギリス、アメリカ)なんだろうけど。プロテスタンティズムはどう考えてもuniの産物である。

ちなみにフェリペと同時代の女王エリザベス1世は、人文主義教育を受けて数カ国語を解するタイプの君主だった。
新たな君主像が生じつつあったとはいえ、「オーストリア系」の君主が急に姿を消したわけではないのだ。

ついでにいえば、「近代国家」的な想像力の萌芽が見られるといっても、近代国家が即座に現実に誕生したわけではない

しかし実のところ、移行の予兆は16世紀より前からあったのだ。
遡れば、アヴィニョン捕囚なんか起きている時点で「普遍権威、だいぶ堕ちたな」感はあるよね。それに14世紀のペスト大流行も、教会の権威を損ねるには十分すぎる出来事だっただろう。

あとこれは直接の原因ではないが、「グローバル化していく中で、見ず知らずの人とも約束できるよう、全ての記録を文書にして残しておく」というイタリア商人的な文書主義も絡んでいるかもしれない。
というのも、文書主義は完全に「実務」の必要性に発しているから、ラテン語ではなく俗語で書かれていたからだ。
こうした俗語は教皇権の失墜とともに文法が明確化され、そのまま国家行政にも用いられる「国語」に変化していったわけである。

もちろん、俗語が公的な言語になっていく過程は、活版印刷のような技術的変化と切っても切り離せない。

さらにいえば、文書主義という価値観が生まれてくるには、グローバルな交易の拡大ひいてはこれをを可能にする諸条件が必要だったわけだ。
「穀物生産の増大によって余剰作物が生じ、マーケットが形成されて交易活動が行われる」だとか、「十字軍遠征によって人の移動が活発化する」だとかね。

このように、omni的な普遍性を代表する権威(教皇、皇帝)が失墜したことと、uni的な「一つの基準への統一」という想像力を可能とする技術的条件が揃ったことが、omniからuniへの移行を生んだのだろう。
ここで重要なのは、今日まで続く「uni的な普遍」が「実務と技術」に下支えされたものであるという点だ。

uniの故郷は労働にある。「統一という想像力」を可能にする労働と技術(これもまた労働から生じる)がなければ、uniは普遍にはなれなかったのだから。
そして労働とは、「私」と「私でないもの」を明確に区別し、「私でないもの」を操作の対象=「もの」として扱うところから始まる。
いや、労働においては、働いている人自身も「もの」になっているのだ。そこに属人的な要素はない。働く人も、資源も、生産のための設備も、そこでは徹底的に「私」とは無関係で、替えのきく「もの」として解される。

uniはそういう、事物を文脈から引き剥がすような、没人格的で冷たい暴力性の血を引いているのである。
しかもたちが悪いのは、今日ではこれが唯一の普遍とみなされがちな点だ──それこそ山崎がuniだけを「普遍的」と評したように。

ゆえに、今日の世界が無制限に暴力的なのも、ある意味では必然なのだろう。
今日の世界たるuniの根底には、何もかも──人間すら好きに操作できる「もの」にした上で、一つの目的に向かって組織化しようという構造的で歯止めのきかない暴力があるのだから。

だから「一民族一国家」を実現するために無理やり国境を動かそうとしたり、民族を捏造したりする。そのために戦争や搾取も辞さない。
それに、人間をアホみたいに働かせる。そのために人を負債で縛りつけもする。その結果過労で心身を病んだり、借金で首が回らなくなったり、自殺したりする者が出てもおかまいなしだ。

一方で、omniはもはや「普遍」の座から追われてしまったのだ。
今になって「多様性を認めよう」とか「理詰めでなく感情に寄り添おう」とか、ちょっとomni的なことをいってみたって、多様性の「認め方」自体どうしようもなくuni的に組織されているのである。

omniの故郷はおそらく、「理想」とはかけ離れたままならない現実にある。これ自体は今でも存在するだろう。

しかし、あらゆる巨大で没人格的な仕組みが世界を覆い尽くした今となっては、ままならない現実をそのまま受け入れて正当化することは許されなくなってしまったのだ。
そんなことしようとしても「はっきりしろ」「非効率だ」「AとBって何が違うの?」とか言われるのがオチだろう。

だって、「ありのままに受け入れる」ということは、言葉も制度も使わないということと同義だからね。言葉や制度は、現実を分かりやすく切り分けて加工するためのものだから。
現代人に加工なしで「ありのまま受け入れる」ことなんてできるわけないじゃないですか。

けれど、たとえomniが普遍の座を追われようが、私たちのomniへの郷愁がなくなることはないのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?