見出し画像

大きな木のような人*いせひでこ

友人はその交流関係の広さから、私に違う世界を見せてくれる。

「洋服屋さんに行くよりも、本屋さんに行くのが好き」

彼女はさまざまな人ともご縁があって、
さまざまな新しい刺激を私に分けてくれる。

ちゃんと色が塗られた世界が、笑顔とともに目の前に現れてくる感じ。

それに彼女は、人間というものをしっかり見ていることに気が付く。

言葉も、絵も、選ぶセンスも、与える印象も、
ちゃんとその人と一致していることに気が付く。

彼女のひとことはいつも核心をついて口に出るので、私はハッとする。

どんな風にすれば、そんな見方ができるんだろうと、迷う私は思うけれど。

そうして、それだけの苦労と責任に向きあってきたことに気付く。

片隅で暮らす私は、
(ただ森の中にひとり気ままに存在してるだけ)と、
たまに自分自身の甘さのようなものを引っ張り出してみたりする。

彼女が教えてくれた、作者のいせひでこさんは
とてもにこやかで、静かな優しい笑顔だ。

「チェロの木」という本にも、もの悲しさを感じる絵の中に、
陽だまりのような明るさがある。

その滲んだ水彩画のように心溶けて、光にあふれた穏やかさに浸る。

絵本の余白は、読者との対話の場所だと思う。

その語りかけが絵の中に光として存在していて、
風の気配まで視覚でとらえることが出来て、物語に入り込むことができる。

「大きな木のような人」は、
パリに住む、さえらちゃんという日本人の女の子の話だ。

「さえら」はフランス語で「あちこち」という意味になる。

植物園の中のあちこちの冒険と、
出会った研究者と過ごした時間をかさねて、
やがて日本に帰国することになり、物語の最後を告げる。

緑のトンネル、400歳のアカシアの木、3300万年前の木の化石。

庭を作ろうと思ったら、
一番大事なのは花ではなく、樹木を植えるのが先だと気が付く。

光と影と虫や鳥の居場所を作り出すのは木だ。

花には良い土が必要で、良い土には虫や微生物や菌までも必要だ。

誰も太陽だけを求めていては、乾いた体と心になってしまう。

守ってくれる何かが必要なのだと考えた時に、森や木の存在が不可欠だ。

恥ずかしがり屋のさえらちゃんは、植物園の森の中で、
いろんな人と関わりながら、生きていく喜びを知って、大人になっていく。

さまざまな植物や樹木と語り合って、大人になっていく。

さえらちゃんを「もう、植物園の一員」と、彼女を愛した大人にとっても、
子供とかかわることで、生きる喜びの小さな物語になっている。

こんな風に誰かにいただいた優しさを、誰かにお返しすることで
上手く循環して、世界は美しく変わっていくのでは、と思わせられる。

最後のページが、種をつけた枯れたひまわりの絵で終わることも印象的。

木々の緑や茶色が続く中に、
いきなり天然色であふれた花々のページがあって、
知らず知らずに花の名前を想像する。

そんな読者の心を「分かりますよ」、とでも見透かすように、
裏表紙には絵に描かれた植物の名前が書かれている。

登場人物だったものね、とその名前を追ってしまう。

知っている植物の名前がたくさんと、
知らない植物の名前が少しあって、
サルビア・カラドンナと思っていたものが、
サルビア・シルベストリスだと知り、答え画像を探す。

ペンステモンやアルケミラの花姿を思い浮かべ、
バーバスカムの植え替えを考えてしまう。

春に咲くムスカリやユーフォルビアに思いを寄せる。

それにやっぱり、カレックスやソテツだって欲しい。

あのオリーブが実をつける日は来るんだろうか。

いただいたひまわりの種もしまってある。

でも夏にはたくさんのオシロイバナを咲かせたいなぁ。

読んでいると、猫の散歩する花畑を思い出して、
果てしない欲が生まれてくる。

小さな楽園ができあがるまでの楽しい想像の時間をくださり、
どうもありがとうございますと、伝えたくなる。






この記事が参加している募集

404美術館

読書感想文

花の種じゃなくて、苗を買ってもいいですか?あなたのサポートで世界を美しくすることに頑張ります♡どうぞお楽しみに♡