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1年に1回、好きにならないように会おうね

いまこの彼が、研修のために本社に来ている。

同期として入社して6年目。
小学校1年生が最上級学年になるくらいの年数を一緒に働いた。とはいえ、配属先が違うので一緒に働いていた感覚はゼロだけど。

新入社員の教育担当として、彼が先輩代表で研修を受けることを知ったのはつい最近のことだった。
4月17日の午前中。研修参加名簿に彼の名前を見つけた時は少しだけニヤっとした。
仕事の用事なんて右から左に忘れていく私なのに、彼が来る日のことだけはしっかり覚えていた。

今日は私も別件で席を外さなければならなくて、チャンスはお昼手前の一瞬だけ。
そのチャンスを絶対にモノにしたくて、私は自席に戻る間もなく研修会場へ向かう。

四方八方から「お疲れ様です」と挨拶が聞こえる。新入社員が元気よく声を掛けてくる。その間をにこやかに通り過ぎた先、一番奥の席。

「Kくん。」

声が上ずった。ただでさえ会うのは昨年の夏以来で、なおかつスーツ姿だなんてさらに久しぶりに見るから。
黒字に紫の刺繍が光る趣味の悪いネクタイすら、似合っていて悔しくなる。ワイシャツの内側、その身体は細いけれど芯がある。

彼は顔だけ上げて、返事はしなかった。
自分の顔が酷く暑くて赤くなっているのが分かる。そんな私を見上げて少し笑っている。

「かっこいい。」と思わず声に出る。

「髪切ったんだね、本当にかっこいい。」続けてそう言うと、「みんなそうやって言うから困るんだよな」とようやく声を出した。「ほらみんなそう言うんじゃん。だからずっと切れって言ってたのに。」と悪態をつけば「寒くなったらまた伸ばすよ」と突き放される。

一度会ってしまえば単純なもので、私の身体は彼の隣から離れられなくなる。

「ねえこの後さ新入社員に自己紹介すんだけど。」「うん。」「自分の年表作れって言われていま作ってて、スッカスカなんだけど何書けばいい?足してくれない?」

彼が広げた模造紙には、確かにスカスカの年表。

「恋愛遍歴とか書きなよ。」「嫌だよ。」「えー初めての彼女が出来た年とか書こう?」「俺、会社にプライベートは公表しないって決めてんの。」「つっまんないの。」「誰が興味あるんだよ、俺の初めての彼女。」「私。」「中学1年生。」「教えてくれるんだ(笑)」
まだ今みたいに煙草も吸わず、バイクも乗らず、真面目に部活に取り組んでいたであろう彼の中学時代に思いを馳せる。たぶん今よりもよっぽど田舎っぽい見た目で、それでもモテていたのだろう。

恋愛の話を切り替えて、彼と私が入社した年を指さした。

「就職のところに「もち子ちゃんと出会った」って書いてないけどなんで?」と聞けば「書くわけないだろ(笑)」と笑われる。

「なんで!大きく人生が変わったって書いてよ。」「変わってないから書かないわ(笑)」「じゃあ、マブダチに出会ったって書いて。」「1年に1回しか会わないマブダチ?」

”1年に1回しか会わない。”

それが私たちの合言葉のようなもので、私たちの色々を制御しているようなものでもある。

「今年は、秋だからね。」と伝える私は、どんな表情をしていたのか今でも思い出せない。「去年は暑かったもんなー。」と彼は呑気なものだ。

それで時間が来てしまって、私は彼の元を離れた。「じゃあね」とも「またね」とも言えず、「私の誕生日、忘れず連絡してよね」なんて面倒なストーカーのような台詞さえ吐けなかった。
時間に追われるように、逃げるように研修会場を出た。

話ながら撮った2本の動画には、此方を見ながら優しく笑う彼が画面いっぱいに映っている。
私のこと好きなくせに。可愛くてたまらないくせに。何でもないような会話をしながら、その目は愛しさを思いっきり含んでいるくせに。
本当は研修会場に来てくれて嬉しいくせに。私にかっこいいって言われて、ニヤニヤしているくせに。
そんな自意識過剰な悪態をついてみてから、悔しくてたまらなくなる。

どれだけ愛しくたって、1年に1回。
プライベートで1年に1回しか会わないって、私たちの暗黙の了解。

私さ、彼氏できたんだよね。
でも君もさ、彼女と続いてるらしいじゃん。
いまの恋愛の話はしないようにしてるんだけど、でも君の近況は知ってるよ。結婚願望ないなんて言ってたのにね。お互い、結婚は向いてないよとか笑ってたのにね。

君の彼女が「結婚はしてもらえないと思う」なんて台詞をこぼしているのを聞くたびに、なんでかそれに縋りたい気持ちになる私がいるよ。

君と結婚したいわけじゃないんだ。
付き合いたいわけでもないから。

だけど、私が先に結婚したいとは思ってるよ。

君が先に結婚すると、少しだけ苦しくなってしまいそうだからさ。

じゃあ、また秋ね。
誕生日のメッセージ、ちゃんと待ってるから。

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