誕生日に苦しむ

前回の記事を書いていて、1週間以上もたつけど誕生日がやっぱりどうにも嫌い、苦手だと再認識した。

自己否定が爆上げされる日だね。

自分は本当に両方の親に望まれて生まれた子どもだったのか?
わたしが生まれたのはおめでたいことだったのか?
そもそもなんでわたしは生まれてきた?

で、ここまで来るとDVモラハラパワハラアル中な父親のご機嫌を取るために身を捧げた母親の図式が頭を離れなくなる。

そして、わたしが思うほどこの人たちは悪くはなかったのではないか?親としてなにがそこまでダメだったのか?という"親を思ってしまう"気持ちまででてくる。ちゃーんと毒親の躾がなされてるね!


最近、絶縁状を突きつけられた母親からの人生相談、みたいなニュースがSNSで回ってきた。

ちょっと待って、よく見たらこれ2年も前の話じゃないの。なんで今さら同じく2年前に実家の家族と縁を切ったわたしの目に触れる?
コメントも1年前とかで「母親が悪い」やら「ひどい娘だ」やら、「ちゃんと腹を割って話し合え」やら的を射てるものから遠くに外れたものまでズラリ。
有料会員じゃないので相談内容も回答も続きを読むことはできないけど、外から見える範囲では、母親の相談がイライラさせられる内容だった。
(調べたらYahoo!にも全く同じ相談内容があるようだ)

母親曰く
ー「誤解した」ままの子どもが「不憫」だ

!?

誤解でもなんでもない。
子どもにとってはこうして母親を糾弾しなければいけなかったことが真実で、それ以外の何物でもありませんけど?

回答も少し見えるのが
ー「胸に手を当てて考えて」

!?

いやいや。
こんな内容の相談を書く母親が胸に手を当てたところで、心臓がドキドキ動いてるのがわかるだけでしょ。

だからわたしの母親は
ーわたしのパートナーが性同一性障害を隠しきれなくなって働けなくなった時、当時はこの理由がまだわからなかったわけだけどー
わざわざ婚家まで妹をペットのように引き連れて乗り込んできて
わたしの性格やら言い方がキツイせいだろうとばかりに、わたしのことを気の毒そうに哀れみを込めた目で見ていたのか?

初めての帰省をしたときに、母親に言われた「帰ってこなくていいのに。バイトでもしてれば?」を受けて家に帰らなくなったのも、糾弾したら、「それは配慮のないことでした。てっきり田舎がイヤで帰ってこないんだと思っていた」というような母親で、

今までのいっぱいいろんなイヤな思いが募って絶縁状を書いた娘さんなんだろう、と自分のことみたいに思ってしまった。

ちょうど2年前に父親と電話の際に
「(婚姻前の名字)とはもう縁を切った」
と伝えてから、結局その電話以来家族全員と縁を切ることになったわけだけど、その後去年は妹から「誕生日おめでとう」メッセージがあった。今年は父親からのみ誕生日おめでとうメッセージが来たけど、妹と同じく今年は返事をしていない。

もうこっちみんな。
わたしが死んでも実家に連絡しないように言ってあるし、きっと向こうも同じだろう。


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