自分を大事にすること

どうやらお年頃になりつつあるわたし。
先日婦人科でもらった漢方のおかげかプラセンタのドーピングがよかったのか、歩きながら膝から落ちて倒れそうなふわふわめまいが治まった。

Wワークの帰り、少なくなる電車に合わせてダッシュで駅へ向かうと、改札手前でクラクラして倒れそうになった挙げ句、せっかく急いだのに間に合わないということが何度かあった。
今同じ時間にWワークの会社を出ても、ちょっと早めに歩けば、電車に間に合うようになった。
以前に筋腫で貧血になったときも、階段などで息が上がって時間通りに会社に着かなかったので、同じ道に時間がかかるようになるのは体力的なバロメータになりそうだ。

一足先にホルモン療法を始めたパートナーは、この前一人で歩いてたら、車に乗った奴から窓を開けて「『キレイですね』と声をかけられた」、とニヤニヤして近づいてくる男は嫌そうながらも初めてのナンパ?にまんざらでもなさそうだった(笑)


母親は、自分のためにお金を使わない人だった。
自分にお金をかけるくらいなら、わたしと弟への学費や、みんなの食費に回していた。
化粧もせず服も買わず文字通り髪を振り乱して子育てをした。
参観日に全く出てこなかったのも着ていくよい服がないとか、そんな理由もあったんじゃないかと思う。
自己を犠牲にして稼いだお金を子どものために使うのが、自分のためであり自分を犠牲にしている風が快感でもあったんだろう。
母親からすれば身を削って子どもを3人、大学までやったのに、特に長女からは毒親呼ばわりされて、さぞかし納得がいかなかっただろう。

わたしも自分にお金を使うのがずっと不得意だった。何かあげるよ、と言われればもらえるものは意地汚く何でももらうし、2つ欲しいものがあって大した額でもないのに、買うのはどっちか片方だけを選ばないといけないというような意識が今も深く根付いている。

自分にお金をかけるだけでなく、そもそも自分を大事にすること、それがわたしにはない。


実際にWワークが必要でなくなった今でも「必要とされたい」という意識と、お小遣いが増えるのがうれしいというためだけに、自分を追い込んで働いている。
昨日も朝7時半に家を出て繁忙期のメインでWワークに間に合うギリギリまで働いて、そのままWワークへ、家に帰ったのは23時半くらい。
そして土曜の今日はメインの仕事が進んでないので休日出勤だ。
さらに夜にちょっと古くなっていたソーセージを食べたら朝5時過ぎくらいに見事にお腹を下し睡眠が3時間ほどになってしまった。

ここまでやらなくていいんじゃない?
と思いつつ追い込みを止められない。


SHELLYさんが自分の子どもに繰り返し言い聞かせているということを聞いて「これが教育だ」と思ったことがある。
「自分の身体は大切なものなので、他の人に触られたり、見られたりしてはいけない」


わたしの父親はそれこそ裸を見せるのをなんとも思っておらず、海に行ったら砂浜で生着替え、風呂から出ても真っ裸のまま悠々と過ごしていたし、わたしも人前で裸になるのに、小さい胸などの体のコンプレックスによるイヤはあるけど、それほど抵抗はない。

最近病院でも肌の露出は極力避けるようで聴診器を当てるにも少しめくって必要最小限だが、わたしは全部脱ぎそうになる。

小学校の帰り道で不審者に「おしっこするところ見せて」と言われて応じたことがある。
母親に怒られると思い追い出しにくかったが何とか母親に伝えた。
母親は、血相を変えて警察を呼んだが「『おしっこするところ』を人に見せるのが悪いことだ」と思っていなかったわたしは逆に母親が血相を変えたことにびっくりした。やっぱり言い出してはいけなかったことだったと思った。
わたしがお咎めを受けることはなかったが、結局不審者の情報を何一つ言えるわけでもなくわたしがイタズラをされた、くらいの情報にしかならなかった。

自分(自分の身体)を大事にすること、自分のためにお金を使えるようになること、そろそろ自分追い込みを止めないと。。。



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