本当なら妹とは姉妹として仲良くするはずだった。

妹の出産のとき母親は全治胎盤で死にかけて卵巣や右側の聴覚や視力もほぼ失った。
退院してきてから卵巣を失ったことによる更年期障害になり、常に「あぁ~しんどい」を呪文のように繰り返した。
その言葉を聞くと居ても立っても居られず、わたしはすすんでヤングケアラーになった。
弟が生まれてからすでに目をかけられてはいなかったのに、さらに年子で未熟児の妹の登場。
妹・弟の世話はもちろん、手伝いという名前の元にご飯を作って掃除洗濯をして、わたしが母親の代わりになった。

わたしは親から見向きもされず放置された。
こんな状況を作り出した妹が憎かった。

母親は誰の学校行事にも来る人ではなかったので、わたしの運動会の親子競技のときは、いつも先生がペアになってくれていた。
妹の幼稚園の運動会のときは、わたしが母親の代わりに出場した。

7歳離れているのが幸い、生活時間も全く違うので、妹にケガをさせてからは妹の存在を無視して過ごした。
弟もいるけど、弟はロストワンのタイプなので、すでにわたしの視界からは消えていた。

わたしは18になり、新聞配達をしながら奨学金ももらうから大学へ行かせてほしい、と「一生のお願いプレゼン」をしてなんとか大学へ行くことを許された。

妹はわたしが家を出たとき11歳。
その後大学にも入っていたが在学中に統合失調になった。
家の中にアダルトチルドレンが5タイプ、きれいに住み分けされれていて、ヒーローのわたしが抜けることで均衡が崩れたのかもしれない。

おじさんが亡くなったときに、久しぶりに連絡した妹から「うちの親は毒親だ」と聞いた。
否定したかったけど、わたしの今までの生きづらさの答えのすべてが「毒親」「世代連鎖」「アダルトチルドレン」の図式で納得がいった。

あのとき妹が「おねえちゃんに会いたい」と言ってくれたので姉妹会合ができた。

初めて妹と会話をした。

妹は妹でもちろんあの家庭に苦労している。
母親はわたしに「この金食い虫が!」と言い続けていたけど、
妹には「アンタが生まれるときに200万くらいかかったから、おばあちゃんに払ってもらったわ」
とお金のことを子どもに語らずにはいられない人だった。

せっかくの身内、せっかくの姉妹だけど、彼氏との別れ話のときに結局毒親に頼る妹が許せなかった。
彼氏があのクソ実家から妹を連れ出してくれたのに、なぜわざわざ家に戻る?

あの親を毒親だって言ったのはあんたじゃないの。

母親と結託してるんでしょ。
父親のことも結構好きなんじゃない。

わたしはアダルトチルドレン故、他人を信用できない。
なかなか人を信用できない方だけど、一番信用できないのが血のつながる家族とか、なんか笑えてくるな。
人を信じることを教えてもらえなかった家庭の構成員だから当然か。

7歳くらいちょっと年の離れたきょうだいのいる人も周りにいるけど、どんな感じなのか全く想像ができない。
わたしも妹もこんな家庭に生まれなければ、仲良くできていたのかな。

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