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生きづらさを解剖する

人の記憶は曖昧で、どれが事実でなにが妄想だったか定かでない。あとここに書くことは主観での話しかない。あとの可能性はわからない。けどそんな感じで書いていく。

仕事をし始めて、所謂社会人になって5年経った。
まだ5年か、と思う。
わたしはいままでどの職場も長続きしなくて、長くても1年半しか在籍したことがない。
新卒から看護師として働いていた。今は違うけど。


昨日上司と話していてめちゃくちゃ自分が嫌になった。

母と話すとき、私自身が思っていることが正しいと、どうしても思ってしまう。そしてそれを母にどうしてもわからせたい。
機嫌も悪くなって顔に出る。
口調もキツくなるし、早口になる。
捲し立てて反論されないようにしてる。
母に対してこういう態度になったのはわりと最近。

昔から上司とうまく付き合えない。
職場の先輩を尊敬したことがほぼない。
距離がうまく取れない。いろんな職場でもなんとなく厄介者扱いされた記憶だけはある。

今の上司に対して、母に対する時と同じような態度をとってしまう。
社会人として褒められたものでは全くない。
不機嫌な態度が言動に出て、自分が正しいということをちゃんと理解してもらえない怒りが抑えられない。

厄介なのが、視野が狭いまま勢いに任せてそういう態度になってしまって、ほとぼりが覚めた後自己嫌悪の大波がくること。上司の対応が大人であれば大人であるほど自己嫌悪の波のスケールがでかい。
冷静にはなれる。
それが社会人として恥ずべきことだと思っている。
穴があったら入りたい。
消滅したくなる。

そんなことになるなんてわかってたやん。
なんでそうやっちゃうの。
そんなことしても意味ないのに。

自分の中に何人か自分がいて
そう言う自分がいる。
こいつの声はわりと大きい。

新卒時代から上司とうまくコミュニケーションを取れた記憶がない。これは社会人5年やってきて、自分のデータがそこそこ溜まったからわかった。
この5年間ちゃんと意思疎通が出来ていなかった。
と思う。
考えてみれば、上司の考えていることなんて理解しようと思ったことがない。
今思えば、上司に上手く伝えられなていないが、常に自分のしんどい気持ちが最優先だった。上司は部下を上手く扱えるのが当たり前だと思っていた。

上司との距離感がわからい。40代くらいの女性は特に怖くて自分からは話しかけられない。

看護師の職場(病院)では、価値観や趣味趣向が全く違う人ばかりで、違和感があった。
笑いのツボが違ったり、興味の対象が違ったり、悪口を好む人や愚痴ばかりの人が多いのも、しんどかった。
馴染めないし馴染みたくない。馴染んだら終わりだと思っていた。でも排他的な環境だったと思うので、馴染めない者の居場所がなかった。

それは看護師の世界だからだと思っていた。
未だ昭和的な年功序列の風潮が根強いし、排他的で「普通」でないものは排除する傾向だと思う。専門的であるやめに視野が狭くなりやすいと思っていた。
わたしが生きづらかったのは
それは看護師の世界だからだと。


昨日上司と話して、クソみたいな態度を取ってしまって、予想通り馬鹿みたいに自己嫌悪に陥って、自分勝手に落ち込んでいた時にやっと気づいた。
この5年のデータもありやっと気づいた。
母に対する態度と同じだと気づいたからでもある。

自分は精神的に幼いのだと。
自分は子どものままなのだと。
世間的にいい歳なのに、大人ではない。
身体だけは大人なので他人から見たら大人やけど
中身がずっと子どもやったと気づいた。

自分の家に目当ての参考書はないので、とりあえずググった。

「精神的に幼い人」
「精神年齢が低い人」
「幼稚な人」

ググったら、そういう人はこういう人って出てきた項目めちゃくちゃ当てはまるなって思った。

・人からもらうことばかり考える
・自己中心的
・怒りが抑えられない
・落ち着きがない
・計画性がない
・空気が読めない
・視野が狭いまで
・言い訳する
・愚痴を言う
etc...

自分は出来てる。自分は大人だ、と思い込んでいたところがある。
母に「あなたは考え方が大人ね」と言われたことが何回もあるが、私は母のことをとても幼稚だと思っていたので、この言葉鵜呑みにしてはいけないと思っていた。幼稚な人からは誰でも大人に見えるだろ、と。

そう思っていたのに、過信していた。
わたしはもうこんな歳なので、大人なので、と。

私の理想の大人はネガティヴないことを言わないし、他人の悪口や愚痴も言わない。不機嫌な態度など絶対に出ないし、何か思うことがあってもサラリと笑顔で受け流してスマートに振る舞うものだ。

でも今のこの体たらくはなんだ。
不機嫌が態度に出て、言動がキツい。人の愚痴も言ってしまう。
自分が昔大嫌いだった上司と同じやんけ。
スマートとは程遠い状況。

ググった時にアダルトチルドレンという言葉も出てきた。知っていたけど知っているだけやった。
今も別にちゃんとわかってるわけじゃない。

私は母と仲が良くない。
それは自分のコンプレックスというか、切りたくても切り離せない悩みとして、ずっと抜けない棘だった。地味にずっとチクチクと刺さって痛い。

自分はとても出来の悪い娘だと思っていた。
母と折り合いが悪いこと。
特別得意なこともないし、頭がいいわけでもない。
母からすると、欲しい娘じゃないだろうなと。母として、私という娘はいない方がいいのではないか、と思った時期もあった。

わたしは母と、高校の時から関係が悪くなった。
関係が悪くなったのは高校生からやけど、違和感は小学生の頃からあった。

決定的に関係が悪くなった時。当時高校生の自分は、1週間の出来事を週末に長時間かけて話すタイプだった。当時部活で悩んでいることがあったと思い出した。その時に「そんな話聞いてられない」と怒られた。
それまで母に普通に話していたのが話せなくなった。

私が言いたいこと、母は聞いてくれないのだと思った。聞いてもらえないので、もう一生喋らない、と思った。

たった一度のことでそんな判断をするなんて酷いなとか思ったことはあったけど、今思えば、そういう結末になる要素はそれまでにあったからだと思った。

私の母は理不尽だった。
理不尽なことは小学生の時からあった。理不尽だとちゃんと理解したのはたぶん高校生になってからだと思う。

例をあげると、母が「明日スーパーに行った時あなたの好きなお菓子を買ってあげる」と言ったとする。次の日になり、私は母とスーパーに行き、好きなお菓子を買ってもらうべく、母にお菓子を渡す。
すると母は「お菓子なんて買わないよ」と言う。
私が、昨日お菓子を買ってくれると言っていた、と言っても「そんなこと言ってないよ」と怪訝そうな顔で言われる。

このタイプの流れは小学生くらいの時に何度もあった記憶がある。
事実と違っても、母の言うことが正史になるのだ。
間違っていたとしても、母の言うことが正しいのだと思った。

近年このことについて母に言ったことがあるが、その時も母は「そうだったっけ??」と言って覚えていないようだった。

あとは、「子どもに決めさせているようで決めさせていない。結局は母が決めていた」ということ。
選択肢を与えているようで与えていない。
母の結論に誘導される。

「〇〇がいい」と私が言うと
「××にしときー」とか「それはどうなのかなー??」とか「××の方がいいんじゃない?」
とか母に言われる。

着る服も「今日は暑いからこれにしなさい」とか「そんな服だと風邪ひくからこれも持っていきなさい」とか。
服なんて、という話だが徐々に自分で決める力を削がれていた気がする。

母の言うことが正しいと思っていたし、なんでも母に聞いた方がいいと思っていた。

今思い出したことだが、私が小6の時学校のクラブではない団体でバドミントンを習っていて、中学校の部活もバドミントン部に入るつもりをしていた。
部活に入るつもりだったので、先に道具一式揃えるか?という話があったが、なんとなく、揃えてもらうのは部活が決まってからにしようと思った。

結果わたしは吹奏楽部に入ることにした。姉がやっていたのも大きいと思う。
その時母に「バドミントンはやらないの?」と言われた。
それに対して私は「吹奏楽はやったらいけないのか?」と思った記憶がある。
そんなこと言われてないのに。


母は選択肢を与えているようで与えていない。
「今までら好きなことやらせてきたでしょ??」と何度か言われたけど、素直に頷けない。
大学にも行かせてもらったけど、一番行きたいところには学費の問題で行けなかった。同じ理由で私立も無理だったから結果的に文字通り公立1本だけ受験した。この時も選択肢はなかった。
学費の問題を言うのはナンセンスなので金輪際もう言わない。

母は私が一歳になる頃に職場に復帰していた。
祖母と同居していたので、幼稚園の送り迎えや面倒を見てくれていたのは祖母だった。
母と遊んだ記憶があまりない。
たぶん一番古い記憶だと思うけど、玄関で母が職場に行くのを泣いて止めていたことがある。

数年前、3つ歳上の姉と母の話をなったことがある。姉とは程よい距離感で、たまに遊ぶ友達みたいな感じ。定期的に連絡を取って、どうでもいい話とか趣味の話をする。

姉とは趣味の話や世間話はするが、真面目な話はしたことがなかった。
その時は、姉が母に対して思っていること、昔の家庭の状況の振り返り、みたいな話になった。

結論詳細は省くけど
姉と私の悩みはほぼ同じだった。

母に対する思いと
そこから生まれる劣等感や罪悪感、コンプレックスの持ち方が同じ。

あとは姉も私も恋愛面に難ありだった。
姉は相手がいる人を好きになりがちやったし
私は20歳半ばになっても恋愛経験が一切なかった。

姉が言っていてずっと残っていることがある。
「褒められて大事にされてきたはずやのに、なんでこんなにも自己肯定感が低いのか」と。


けっこう横道に逸れた。
まだ話してないことはあるけど
結局のところ、わたしは母との関係でうまくいかなかったことをずっと引きずっていたと思う。
直ってないので今も現在進行形ではある。

社会人になって生きづらさが露呈した。
ヒシヒシと実感していた。
「これで良い」と思う自分と、「こんなんじゃこの世界で生きてはいけない」と思う自分と。

でも生きづらかったのは環境のせいではない。
自分の問題なのだと、やっと実感した。
自分の思考回路と執着の問題だと思った。

今までは思ってるだけやった。
知ってるだけやった。
身を持って体感はしていなかったと思う。


私は若々しく美しく死にたい。
死ぬ時、楽しかったと思って死にたい。
死ぬ時、後悔を持って死にたくはない。
他人に対して善良であったと自他共に認めて死にたい。
自分に自信と誇りを持って死にたい。
人生が良いものだったと思って死にたい。



短期目標は全くないのが現在の難点やけど
人生の目標、それだけはある。
あと、人は変われる。自分は変われる。

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