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完璧主義な私

ここに言葉を置かなくなってから
3ヶ月が経とうとしている。


私は昔から正義感が強すぎる。

自分にも人にも厳しい。

理不尽なことは許せない。
ちゃんとやらない人が許せない。

白黒はっきりさせないと気が済まない。

完璧主義だ。

気付いたらそうなっていたのだけど
家庭環境からだろう。


子どもの頃から
不安定な母親を支える役目だったから

なんでも1人でやらなきゃ
親に負担かけられない
出来なきゃいけない
ちゃんとしなきゃいけない

もともとの性格もあるだろうけど
環境がそれを加速させた。


しかもそれらの考えは
社会の中で褒められたし認められた。

社会もそれを求めてきた。


だから余計そう生きてきたし
仕事では優位だった。

でもその白黒つけたがる完璧主義が
仕事では優位でも

生きるうえでは
自分を苦しめているなと

いろんなことが起こるたびに実感している。



このnoteを休んでいたのも

私が上手く人を交わせなくて
曖昧のままいられなかったからだ。


不快なものは関わりを0にもっていかないと
私は落ち着けない。

愛着の問題から
そうなるのは仕方ないと言われている。


無理にそこをやれるようになることを
目指さなくてもいい。


それでもやっかいだなと思うのは


私は人が好きで
人と関わりたいと思ってしまうこと。


人付き合いに難ありのポンコツなのに
人が好きなのだ。

だからこそ

0-100じゃない曖昧な状態でも
受け入れられることや処理の仕方を

自分なりでいいから学びたいなと思う。

だって
人は0か100なんてことはないから。

自分の感情や状態も
0か100なんてことはない。

人に関しても
自分に関しても
状況に関しても

曖昧・不確かなものを
もっていられるようになれたらな。



【時間が解決してくれる】

って言葉をよく聞く。


それはとても感じるけど
いつもどこか納得はしていなかった。

だってその間

この苦しい感情を
どうしたらいいのだろうと思っていたから。

耐えるしかない状態を
どうやり過ごすのか。



ある人に教えてもらった曲の中に

時間が解決してくれるけど
その間も自分が努力をしていると思っていいと


そう思えたら
少しは時間に任せることもいいのだと感じた。

その時間、自分も耐えると言う努力をしていることを認めてもらった気がした。

曖昧なもの。
曖昧な時間。

無理に嫌な感情を受け入れることはないけど
もう少し上手く乗りこなせるように。

私を変えるためじゃない。

私が私を守るため。



そしてこの0-100になりきれない
前に嫌なこともあったこのnoteと言う場所で

また自分と向き合い
曖昧だった時間も抱えていこうと思う。


やはりこの一番心に近くて
声色もテンションものせない

自分の心を言葉だけで並べる場所が
必要な気がする。


また自分の言葉と言うものを綴っていけたら。

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