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カメラをさわれなかった時間


1月がおわろうとしている頃 、
祖父が亡くなりました 。


1か月ももたないことを知らされてすぐ
祖父の姿を残さないとという気持ちで
カメラを持って病院へ行ったときには
もうベッドから起き上がることはなく 、
会話もままならない状態でした 。
とてもじゃないけれど
こっそりしまい込んできたカメラを
取り出せる雰囲気ではありませんでした 。

亡くなる4日前 、
意識がなくなる数時間前 、
帰るねまた来るねというわたしの
手を握って祖父が言った
“ 手っこ つめてくして ”の言葉が
おそらく最後のきちんとした言葉 。


すこしの間
あの日元気な姿じゃなくても撮るべきだったか
もっと前からたくさん撮っておけばよかった
なんてふと考え出すと どうしても
カメラに触れる気になれずにいました 。
時間にも 心にも 余裕がなかったのかな 。


それから ばたばたとした生活が
すこし落ち着いて 、
同時に 心にも落ち着きが戻ってきて 、
夕陽がきれいだな っと思えた頃に
ようやく写真を撮りたい気持ちが
戻ってきました 。


ボタンひとつで動画がとれる今の時期 。
音声や動きそのものは簡単に残せるけれど
それでも写真にこだわるのは
写真の方がその時の雰囲気や空気を
残せると思っているから 。

だけど
祖父のことを思い出すと
写真の中に 声やにおいや会話までも
おさめられたらいいのに っと
思っては 心がぎゅっとなります 。

写真を撮ること
フィルムカメラを使うことが
好きなことは変わらないけれど
準備して構えたきれいな写真ではなくって
切りとった瞬間の時間を感じられるように
残していけたらいいな 。

こうして文章におこすのは
まだ早い気もしたけれど 、
この気持ちが鮮明なうちに
言葉として残しておきたいと思います 。


とはいえ 、
不謹慎だと思われるかもしれないくらい
葬儀前後でも 家族で祖父の思い出話をして
お腹をかかえて大笑いしていました 。
遺影もくすっと笑える写真をチョイス 。
じーじ 勝手にごめんね!笑



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