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22:ポートレートからの脱却

マガジン「人の形を手に入れるまで」の22話目です。まだ前書きを読んでいない方は、こちらからご覧ください。

精神保健福祉士を取得して1年後の冬。私はハローワークの求人に隣県のワーカー求人を見つけた。

高校、大学、社会人と家を出ることを諦めていた私にとって、この求人票との出会いはその後の人生を大きく変える転機になった。「家を出れば帰る家がなくなるよ」と言われて育った私にとって、『実家から通える範囲』は今までしてきたあらゆる選択の条件だったのだ。

求人票に記された事業所所在地は、私の実家から片道2時間かかる場所だった。もちろんこれを毎日通うなんて無理な話だ。母には、事後報告でこの事業所に勤めることが決まったと話すことにした。アルバイトで貯めた貯金もあったし、家を出る位なら何とかなる。怒鳴られるかもしれない、下手したら殴られるくらいはあるかもしれない…そう覚悟していた私の思いとは裏腹に、母の対応は意外なものだった。

「よし、家電を買いに行こう」

母は言った。なんとも拍子抜けする反応だった。

その翌日くらいだっただろうか?一緒に家電量販店を見て回った。母ときちんと一緒に買い物をするのは数年ぶりだった。母は家電の扱いが大の苦手で、大体全ての操作は私が行っていたというのに、母は自分が一人暮らしを始めるんじゃないかというくらい真剣に家電を選んでいた。

「あなたは料理が好きだから、冷蔵庫は大きくても困ることはない」

「掃除機は小さなアパートなら小回りが効くやつがいい」

「洗濯機は内蓋がない方が手入れがしやすい」

ほかにも、ほかにも、堰を切ったように母はしゃべった。一人暮らし用の家電を見てばかりの私に、家族用の家電を勧める。小型家電は運転に負荷がかかりやすいから、場所に困らないなら大型にしなさい。安物を何度も買い換えるくらいなら、初めからきちんとしたのを長く大切に使いなさい。液晶テレビは後半年しないで値崩れするらしいからそれまで待ちなさい…母の話すそれは、以前父から聞いたことのある話だった。

長年連れ添って、理想の夫婦とはいかなかったけど、腐れ縁の伴走者くらいにはなっていた父と母。離婚や別居の危機の中、『単身赴任』という仕事の都合で奇跡的に婚姻関係が破綻しなかった2人は、いつのまにかお互いをうまく利用し合えるようになっていた。困りごとがあれば相談して、嫌なことがあれば頼って。どうやら今回も、家電を買うにあたって母は父と相談したらしい。そういえば、私が死のうとした日の翌々日、父が何食わぬ顔で出張の寄り道だと帰ってきていたっけ。

『きちんと、2人から守られていたんだな。』

気がついて、じんわりと涙が出そうになった。

『子どものための単身赴任だと泣ける話のように語っているが、実は父と母は仲が悪く、私は体良く別居の口実に使われている』…それが私にとっての家族像だった。

でも物事には多面性がある。父と母の関係性にも、私と家族の関係性にも、私の心の中についても、父の、母のそれぞれの心の中も、すべてにおいて多面性がある。

私はそのうちの、『私を否定する面』のみを切り取っていた。嫌われていると思った方が、相手を遠慮なく嫌いになれる。疎まれていると思った方が、私に非なく『さよなら』できる。

でも現実はそうはいかない。『愛しながら疎ましがって』『大切にしながら疎かにして』そういう相反する感情で世界は溢れている。

幸せな家族写真が家族の有り様を映さないように、私の捉える家族像も、『家族の姿』を正しく映さない。

「炊飯器は安いのでいい。壊れて買い換える時、高いので食べ慣れてるとごはんが美味しくなくなるから」

ちょっといい炊飯器を勧める母に、私は首を横に振った。いつだって、人間の関係性は複雑なのだ。





駆け出しライター「りくとん」です。諸事情で居住エリアでのPSW活動ができなくなってしまいましたが、オンラインPSWとして頑張りたいと思います。皆様のサポート、どうぞよろしくお願いします!