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南の島に農業をしに行ったら場末のスナックで働かされることになった話

ひとり南の島の空港に降り立った。機体と空港をつなぐ、あの蛇の腹みたいなもので覆われた通路に出たら、湿った空気が肌を包んだ。湿気。服を一枚脱いで、腹に結び付けた。荷物は、黒々と光った安っぽいビニールでできた大きなバッグだけ。タイヤが付いたキャリーは可動性が悪くて好きじゃない。重いバックは肩に食い込み、汗ばんだ皮膚に吸い付く。

唯一都市部に走るモノレールで、予約した宿に移動する。今日は港の近くで一泊する予定だ。インターネットで予約したから、部屋と外観の写真しか見ていない。地図を見ながら歩くと、キャバクラとホテルが並ぶ道に出た。どうやら、予約した宿はその真ん中にあるようだ。

昼下がり、すでに外で暇そうにしているキャッチの男が立つ前を通り過ぎるのは居心地が悪かった。あまりに安い宿というのは、こういうことがある。安くていい宿と言うのはごくまれで、大抵、安さと何かを引き換えにする。今回は立地だな、そんな風に思いながら、チェックインを済ます。食事は付いていない。部屋のベッドに座り、買ってきた菓子パンを開け、かじる。窓を覗くと、さっきの男がまだそこにいる。反射的にカーテンを閉め、ベッドに横たわった。

 

この間、大学を卒業した。友達の多くが大企業へと就職を決めるなか、私は就活さえしなかったが、親は特に何も言わなかった。

髪を黒く染めるのが嫌だった。リクルートスーツはダサくて嫌いだ。パンプスを履くと一瞬で靴擦れができる。向いていない。圧倒的に。新卒という肩書は血統書みたいで、聞いているだけで腹が立った。

一度だけベンチャー企業の説明会に行ったことがある。就活とは何が執り行われるところなのか、知りたかったからだ。グループに分けられ、参加者がディスカッションする様子を見ている社員らしき大人の視線は、品物を見定めるようだった。一生懸命自分の意見を述べる同年代の清潔感のある青年。買いたてのスーツはピカピカだ。ピカピカがあんまりにきれいごとばかり言うから、違う意見を言った。そうしたら、黙ってしまった。我に返り、自分の性格の悪さに驚く。

全体会では社長が現れ、会場がざわめいた。そういえば最近、芸能人とのスキャンダルが報じられ、ワイドショーで顔が出ていた気がする。誰も手を挙げない。どうせこの会社を受けるつもりではない私は気軽に手を挙げ、なんのためにこの会社をやっているのか、みたいな質問をした。そうしたら、「世界の幸せのためです。」と、彼は話した。当時の私にはその意味が分からなかったが、今となっても、その会社の事業内容と世界の幸せがどうつながるのか、わからない。

帰り道、同じグループだった人に声をかけられた。就活のことについて彼は話し始めたが、私は就職自体するつもりはないと告げると、また黙らせてしまった。連絡先を交換したが、一度も連絡をしていない。

 

 うわべ。世界は、何かで覆われている。きれいで、光っていて、明るい。それは、その内側にあるものを見事に覆い隠している。ある瞬間、ほつれた場所からその内側と外側がつながる。それは、そこに足を踏み入れた時、またはそこにいる人と邂逅した時だけ。二つは、全く違う世界だ。

その二つを前に、人はどんな行動をとるべきなのか。私には未だに分からない。

 

大学時代、罪悪感からか、使命感からか、羞恥心からか、色々な「慈善事業」に参加した。でも、ある友だちは、そんな私に偽善だ、と言い放った。しかもミクシィ越しに。(SNS黎明期に私はこの体験をしておいてよかったと今は思っている。)

偽善だというその根拠は、私が「高級」ブランドのパスケースを持っていたかららしい。不自由なく暮らせる家に生まれ、親が大学の学費を払ってくれているかららしい。どんなことをしても、それがすべてを打ち消すことらしい。そのパスケースは父が長く使っていたものを貸してもらっていた。数十年使われた飴色がかっこよかったから、好きだったのだ。その友人の言葉は、私の腹にどすんと鈍い音を立てて食い込んだ。まだその言葉について、よく考える。

そのようなことがあって、もっと世界を知らなければ、という強迫観念にかられた私は、大学を卒業した後、なぜか南の島からフェリーでさらに六、七時間かかかる離れ小島の農家で働くことにした。最低労働賃金には達していない時給だったが、宿と飯付き。これはこれでいいのでは、と応募したのだった。世界を知らないから、労働基準法も知らない。それが若さだ。

 

フェリーは南の島から、朝六時に出港する。早起きをして、昔からやっているらしい外観の食堂で腹ごしらえをしてから、フェリーに乗りこんだ。早朝に出て、昼過ぎに到着するから、本格的に睡眠するわけでもないし、一番安いチケットを買った。つまりただ床が広がり、人がたむろする空間が私の席である。ずっと地べたに座っているのはなかなか尻が痛い。ので、ふらふらと船内を歩き回り、外を眺め、たまに転がり、過ごした。船酔いはせずに済んだのが幸いだった。船旅は好きなのだ。

カモメが飛んでいる。風が体全体に勢いよくぶつかってくる。延々と続くように見える南国の海は、やはり美しい。太陽が水面に輝くのを見ながら私の心は、沸き立っていた。段々と海の遠くに島が見え、船は着岸の準備を始めた。やっと目的の島へ辿り着いたようだ。東京を出てから、一日半が、経っていた。


ーーー
 

 フェリーから、コンクリートで固められた港に足をのせる。数十人ほどの人たちが、降りてくる乗客を待っていた。この島へ着く便は一日一便しかない。生活にも使っているのだろう、感動的な再会といった雰囲気は特になく、みなさらりと合流して車へと吸い込まれていく。私はといえば、一人でどきどきしていた。雇用主とここで初めて会うからだ。

辺りを見回していると、一人の中年男性が私のことを呼び留めた。開いた襟のシャツを着て、短パン。いかにも南国らしい風格だ。その男に今日から働く人か、と確認され、そうです、と言うと、こっち、と車へ案内された。他の人には見向きもせずに私に向かって一直線だったことに疑問を抱き、何の目印もないのになぜわかるのか?と尋ねれば、島の人は大体知っているし、見たことない顔はあんただけだったから、と言われた。テレビでしか聞いたことないセリフを本当に聞くことができたことに、軽い感動を覚えた。ああ、遠くに来たなあと、少ししみじみし、なぜか自分が誇らしかった。

 

 車を少し走らせ、着いたのは外階段のついたアパートと、コンクリートで作られた四角い建物だった。ここが母屋ね、と案内された家の和室に腰を下ろすと、少しほっとした。

雇用主は見た目はいかついが、物腰は柔らかそうではある。とはいえ、言葉にイントネーションの違いや独特の語尾が混じるので、一回では何を言っているのか聞き取れない。出されたお茶を飲みながら、簡単な世間話をする。長かったでしょう、とか、疲れたかい、とか、ありきたりなものだ。その流れで、これからどんな生活になるのかを説明し始めた。

 

「まず、泊まる場所なんだけど・・・」

淀みなく言いだしたが、そこから始まった説明は耳を疑うものだった。

この雇用主が言うには、さっき見たアパートか、ここからさらに離れた小屋、どっちに泊まるかを選んでほしいという。アパートに住みたいに決まっているのだが、アパートに住むためには条件がある、と言う。それは、隣接するスナックで働くことだった。

今一度確認しておくと、私は寝食付きの農業アルバイトの求人を見てこちらに来た。いろいろな手段で法をくぐり抜けて最低賃金以下の求人だったが、まあそれは納得の上だった。住居は確保されているし、悪くないと思った。もちろんスナックのことは全く、募集要項には書いていなかった。つまりこの話は、寝耳に水である。

しかし一連の説明はすらすらと、慣れたそぶりでされた。これはきっと常習犯だ、咄嗟にそう思った。水商売を憎んでいるわけではないが、私はそのつもりでここに来たのはない、土と共に汗をかきながら南の島を満喫したかっただけなのだ。陸続きでどこかに行けるところだったら、きっとこの時点で帰っていた。でもここは離島、今日のフェリーはもう行ってしまった。引き返せない。雇用主は全く悪びれておらず、何を言っても無理そうだし、何より今日泊まる場所がない。

小屋って、どんな小屋なんですか、と聞くと、じゃあ見てみるかい、と言う。再び一緒に車に乗り、何もない草原をひた走る。ここだよ、と停まった先を見ると、薄暗くなった遠くのほうにポツンと廃虚が建っている。

歩いてどこにも行くことはできないし、街灯すらない。建物の所々の外れた木の板から中が見えそうだし、というか、電気とか通っているのか、この小屋は。ここに住みながらの肉体労働か、と思い描いてみたら、恐ろしくなった。私は今まで実家以外で暮らしたことがない。ここで寝たら、殺される、と真剣に思った。バラバラにされてしまうかもしれない。無言のまま再び母屋へと車で戻ると、少し考えてみてよ、またあとで来るから。と雇用主は暖簾の奥へ消えていった。私は、スナックで働かなければならないのか。人生とは、色々なことが起こるものだ。その時の私は、遠い島へ売られた少女のような気持ちだった。

 

とりあえず、親に電話しようと思い立ち、一部始終を話し、どうしよう、と電話口の母に訴えた。心の中では、すぐに帰っておいで、と言ってくれるのだろうと思っていたし、そういわれたらすぐに、明日にでも帰ろう、と心を決めていた。でも、違った。まあ、いい人生経験になるんじゃない、とすごく前向きな返事が返ってきてしまったのだ。わが両親は、とても前向きだ。すごいと思う。そうだね、と内心がっかりしながら電話を切った。

さて、どうしたものか。でも確かに、いい経験かもしれない。こんな離島のスナックで働くことなんて、今後きっと訪れることはない、と五分後には心を決めた。私も両親譲りで前向きのようだ。

雇用主は、きれいに着飾った中年女性とともに現れた。どうやら夫婦でスナックを経営しているらしい。アパートに住むので、スナックで働きます、というと、そう、よかった、よろしくね、と鍵を渡された。とても事務的にアパートのルールなどを教わり、今日は疲れただろうから、仕事はいいからゆっくり休んで、と言われ、部屋へ案内される。当たり前だろ、と思いながら、アパートの一室で転がった。

 

何もないフローリングは南国の湿気で少しひっかかる。私はこれからどうなるのだろうか。不安が九割の中、そういえば全然トイレに行ってないことに気づいた。そう思うと、急に行きたくなってくる。立ち上がり、ユニットバスの扉を開けるとトイレットペーパーがない。どうしよう。悩んだ結果、隣接するスナックへ助けを求めに行くことにした。


ーーー

 

 

自分で言うのも何だが、私は義理堅い人間なのだ。明日から働くことになるスナックへ、挨拶でもした方がいいだろうということで、トイレットペーパーをもらうという大義名分はありつつも、顔を出そうと思ったのだった。

アパートの外階段を降り、店の前に立つ。辺りはもう暗い。店先についているパトランプのような、くるくるまわる光だけが外を照らしていた。偽ステンドグラスのドアを開けた瞬間、中から勢いよく「いらっしゃいませ!」という声がした。八百屋のような威勢のよさにびっくりすると、向こうも目を丸くして私を見ている。薄汚いTシャツとジーパンを履いていたからか?そんなにびっくりしなくても、と思うのだが。

「すみません、明日からお世話になります。よろしくお願いします。あの、トイレットペーパーが部屋になくて、頂きたいのですが…。」

キラキラしたドレスに身を包んだ若い女たちが3人、急にギラリとした目つきになった。ママが慌ててこっちこっち、と私を引っ張り店のカウンターの後ろにある扉に押し込むと、

「そんな恰好で来ちゃだめ。」

とこそこそ言った。汚い格好でここに来ることはだいぶ罪が重いらしい。はいこれ、とトイレットペーパーを渡され、部屋へすぐに帰るように促される。初めての挨拶は最悪な感じに終わった。泣きたくなった。でも無駄に前向きな私は、ここでこの汚点を挽回せねば、と思ってしまった。手を抜くということを、まだ知らなかったのだ。健気である。

 

スナックで働いているのは、雇用主の妻の「ママ」、雇われの「チーママ」、ショートカットの「横浜」、ロングヘア―の「三線」だった。名前を忘れてしまったので、それぞれのエピソードに絡めてそう呼ぶことにする。彼女たちは農業とは関係なく、スナック専属で、そこで働くためにここに来たらしかった。それ以外に、私のように農業をしに来たのになぜかスナックでも働かなければならなくなって、早朝から深夜まで長時間労働を余儀なくされているメンバーが二人いるという。仲間がいると聞いて、少し心が軽くなった。次の日の朝から始まる農業バイトで、彼女たちと初めて会うことになった。

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