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本といふものの小さきを見る | 文学フリマ東京38

砂浜は、よく見ると色々なものでできている。砂。石。木片。貝殻。珊瑚。生物の一部。手で救うその中だけでも、たくさんの何かを見ることができるはずだ。

もしかすると。本も。きっとそうなのだろう。

大まかな形としてしか見ていなかった本というもの。その小さな部分まで見つめてみると、そこに、作者のこだわりが見える。

反対に言えば、そのような部分まで考えないと、自分で本は作れない、とも言える。

もちろん商業誌は、色んな専門職が結集し作られる。しかし個人での製本は、製本会社や印刷会社にお任せできるところもあれば、そうでないところもある。

それを大変と見るか、楽しいと見るか。それは人それぞれだろうが、私はと言えば後者であった。

文字の大きさ、フォント、行間、ページに収まる字数、ノンブル、余白。本文の用紙の手触り、めくりやすさ、まとう空気。遊び紙、表紙の用紙、印刷方法や色。もちろんデザインも。考えるべきことは多岐にわたる。

不思議なことに、そういうことを考えれば考えるほど、本が愛おしくなっていった。自分の本だけでなく、すでに世に出ている、全ての本が。今読んでいること本に詰まっているものに思いを馳せると、どうしても粗末には扱えない。

さらに、色々な“本”の形態を学ぶ中で、私の持っている本というものの枠組みがどんどんと崩れ、広がっていった。本とは、こんなにも自由でいいのか。そう思うと、自ずと笑みが溢れた。

知れば知るほど、その魅力に取りつかれ、制作に対する意欲も湧いてくる。


砂浜はいつもそこにあるようで、その実いつも同じではない。常に入れ替わり、流され、流れ着き、変容している。

同じように、本も、作り上げた時のもの、それがそのまま、同じであるわけではないのかもしれない。

月日が流れるにつれ、その持つ意味が、読み手や書き手、社会の価値観の中でも、変わっていく。

そう思うと、やっぱり、本を作ることには、とても価値がある。電子書籍も、Kindle出版も、もちろん良さはあるけれど、紙という質を伴う本という形態にしかない良さが、どうしたって、ある。

さて、私の内側を、本という質に表すために。今回は製本会社へお願いすることにした。いくつか調べて、これは、と思ったのが、緑陽社だった。

つづく






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