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軽やかに舞う女たち | 「虎に翼」と「光る君へ」に泣く

最近の生きがいはNHKドラマ。
「光る君へ」と「虎に翼」で毎回泣いてる。

特に毎朝、シシヤマザキさんのオープニングテーマの最後の方で、みんなで輪になってクルクル回りながらの、どじゃーんといろんな時代の女性たちが現れて踊るシーンで、化粧し終わってすぐの顔面が溶けるように泣いてる。

今昔の女たちが軽やかに舞う様に、わたしは涙を止められない。


(↓「虎に翼」オープニング 1:05あたりから舞う女たちが美しいので見て)


女が軽やかに舞う。ただ舞っているように見えるけれど、私にはその足元にさまざまなしがらみが見える。彼女たちは、彼女たちを縛り付ける何もかもをふりほどき、舞っている。

今、同じように私たちが舞うことができるのは、今まで舞おうともがいてきた女たちがいたからこそなのだと、私の中に迫り来るものが、私を動かす。

いや、私は、舞えているだろうか?しがらみに足をとられ、舞うことを諦めていないだろうか?

ふと、考え込みそうになるが、ドラマが始まりあれよあれよと引き込まれる。毎朝、そんな繰り返しをしている。

ーーー

大河ドラマ「光る君へ」の時代では、男女の役割はあまりにも明確だ。女は子を産み育てる。それが結婚に課せられたこと。

誰もそれに疑問の余地を抱くすべもないが、この度、清少納言が我が道を突き進み、結果として自らの生きる道を見つけ出すさまを見て、人というものは、やはり誰しも、どの時代にも、そのような道があるのだろうとしみじみと思った。(まひろはこれからだね!)

子を産み、家に入ることだけが、道ではない。(同時にもちろん、それもまた道である)

しかしこの時代では彼女のように振る舞えたのは、限られた人だろう。では、現代では?残念ながら、いまだに同じなのかもしれない。

ーーー

どちらのドラマも、女が、女だからこその、不本意なこと、理不尽なこと、うまくいかないことに立ち向かい、人生を進めていくことが根底にある。

それに対してこんなに心動かされているのはなぜかというと、そこに少なからず自分自身の経験が重なっているからなのだろう。

今もなお、私たちの足元にある見えない枷。それが少しずつ見えてくるようになって、もがいているのが現代なのかもしれない。

そして、そこでどんな振る舞いができるのか。足元に絡みつく茨があまりに多く、動けない人もいる。動くたびに、自分自身が傷ついてしまうのだから、血だらけの他人に動けなんてやっぱり言えない。

でも、私は。じゃあ、私は。私はそれでも舞いたいと思う。血だらけの足でも舞いたいと思う。だって、枷にはまったままでも、血は流れるのだから。

現に私は、(恐らく、私たちは、)みくびられ、なめられ、ののしられてきた。私たちを弱いと思って、動けないと思って。そういう対象に攻撃してくる卑怯なやつに、不意に「なんだおら」と返したらびっくりしてたのって、そういうことでしょ?お前、私が黙っているとでも思った??

いや、あんまり血だらけになったらちょっと休むかもしれないけれど。殴り返されるのはやだしな。暴力反対。

ともあれ、今この時代で私たちが舞うことは、これからの未来に舞台をつなげていくものだと思う。そう思うと、作品を見るたびに、いつも涙が流れて、勇気が出る。化粧も一緒に流れていく。けどそれは、指で擦ってなじませればよい。

連綿と続く歴史の中にいる女たち。私もそのひとりになりたい。そしてこの作品を作っている“女性”たちに、私は尊敬の念を禁じ得ない。


しばらく、生きがいは、続く、、!


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