マディソン郡の橋で不倫を考える
この話をきいたのが2022年10月であり、1年と少し経ってふと思い出したから観てみることにしたんだ。
映画は1995年に公開されている。
当時の私は幼すぎて知る由もなかったけれど、時が経って出会えるのは面白い。
秩序と不倫
小さな町の、誰しもが顔見知りの田舎では不倫ができない。
当事者ではない人が不倫を極端に叩く現象は現代社会にもよくみられるが、関係者でもない彼らがなぜ不倫を嫌うのだろうか?
それは不倫を許してしまうと社会への混乱を招くからであり、秩序で成り立つ社会の統制が取れなくなるからである。
社会において規則を守ることはとても大切だ。
例えば税金を納めなければいけないというルールに対して、謎の特権階級の人たちが4000万くらい脱税してたとして、それが国民にバレたらどうなるだろうか。
もし本気で国民が納税をボイコットすれば国は機能しなくなる。
例えば街中で他人を殴ったら許されないのは、殴られる危険がある世界では社会が機能しなくなるからであり、国が成り立たなくなるからだ。
そして、例えば男性が女性を手当たり次第に妊娠させてもいい世界でも国が成り立たなくなるだろう。
男女で一緒に子育てコストを支払うと思っていた女性と子どもが困窮し、結果的に女性は男性を敵視しだし、社会が成り立たなくなる。
つまり不倫が許される世界では、巡り巡って、不倫をしないで平穏に生きていたはずの人が損をする。
秩序を守るということは、社会を守るということである。
だから社会は絶対に許さない姿勢をとって、彼らの行為を抑制する。
仲間はずれ
この場合、"社会"というのは弱い者の集団だ。
弱いものは集団になるととても強くなる。
仲間はずれにするということは、1番合理的な断罪方法なんだ。
ヒトは小規模な集団を形成して生きてきたために仲間はずれにされることを極端に嫌う。
集団からの追放とは、ヒトが人となってから長い間、実質的な死と同じ意味を持つ行為であったんだ。
野生的な生活をしていた頃の、大した力もなく、爪も牙も俊敏さもないヒトは、捕食される側だった。
それが、群れで石を投げる行為(投擲:とうてき)を身につけると動物との力関係の形成が逆転しだす。
しかし投擲で捕食者に立ち向かうことは、たった1人ではできない。
大勢が団結して初めて効力をもたらす方法である。
そこで恐怖により逃げ出すヒトはその瞬間には生き延びることができたかもしれないが、石を投げるヒトが少なくなる集団は全滅するんだ。
投擲の技術を極めると超すごい武器になるらしい。
石を投げるためにヒトは肩を進化させたともいわれている。
そして敵を前に石を投げるというリスクをとったヒトが多いグループが生き残る確率が上がる世界では、逃げ出すヒトに対して集団は協力をしなくなる。逃げだす彼らを守ってしまうと、誰も石を投げる人がいなくなるからだ。
だから遺伝子がアラートを鳴らして、なるべく集団に属するように行動させる。
意思を持って石を持ち続けたヒトの遺伝子が、私たちには組み込まれているんだ。
現代社会の罪と罰
育児コストを払えない場合、集団が崩壊して死に繋がる。
だから嫌悪を覚えるように人はプログラミングされている。
多くの人が信仰する宗教でも配偶者以外との性行為は悪とされているのは、子育てを継続して行える安全な社会システムを築き上げるためである。
しかし、避妊具と堕胎方法が整備された現代社会は前提条件が異なってくる。
妊娠、出産を選べる社会というのは、築き上げてきた前提条件の改変だ。
しかも顔も名前も知らない人々が大量に、そしてどんどん入れ替わりながら住むという世界では、仲間はずれにみられる追放システムという懲罰の機能が働かなくなる。
マディソン郡
この映画は、社会としての機能がきちんと働いている時代の田舎が舞台である。
その中での不倫には「誰かに知られてしまうことで存在を排除させられる」という社会的な死をはらんでいるけれど、そのリスクこそが愛の重さの証明でもあるのだ。
マッチングアプリや避妊技術が発展して不倫や浮気がありふれた現代よりも、重い罪がある世界。
この話が共感を呼ぶから映画になって、私の目の前に思わぬ形で現われた。
群れ
ヒトはおそらく、3〜5人程度の小規模な群れで狩りをして、全員が顔見知り程度の中規模な集団を形成していた。
現代は1人でも生きていける社会であるが、ヒトは1人で生きるようにも、大きすぎる集団で生きれるようにもデザインされていない。
そういえば、人間関係リセット症候群というものがある。
現代の病であり、私も時々したくなる。
スマホのデータを消せば世界も無くなって、また新しい人と1から関係を築くことができる。
そして短く濃い時間は綺麗なまま記憶に残りつづける。
なぜ不倫したことを伝えるのか
この映画の主人公は、死んでから子どもたちに日記という形で不倫の物語を伝える。
どうしてそのようなことをするのだろうか?
きっと理想の母ではなく、1人の人間としての完璧ではない本当の自分を知って欲しかったのだろうな。
私も、この短い人生の、私に見える世界を誰かに伝えたいと思ってnoteを書いている。
今日は映画をみて思ったことを書いた。
次は何の映画を観ようかなぁ
本が欲しい