【短編】【SS】ドリーム鶏白湯

気がつくと、いつもここにいる。雑居ビルが立ち並ぶ狭い路地。目の細かい石畳は濡れて、看板の蛍光灯の安っぽい光が路面に反射している。時刻は午前0時を回った頃だろう。まだ営業しているテナントからは小さく雑音が漏れている。どこかの店からの蒸気なのか、夜霧なのか、うっすらと白いものが立ち込めていてどこか幻想的な雰囲気さえある。
今の状況の手がかりになるものは無いかと、ブラックスキニーパンツの前ポケットに手を突っ込んでみると、なぜか$5が3枚と$10が2枚。どうやらアメリカのどこかにいるらしい。アメリカと言っても広いが、まぁ良いかとポケットに戻す。黒いハイヒールをはいた足を一歩踏み出すと思ったよりもカツっと鋭くいい音が響いて一瞬ひるむが、そのまま歩き続ける。向かう場所は決まっている。いや、分かっていると言った方が良いのだろうか。無意識の内に向かうべき場所に導かれるように歩みを進める。

しばらく歩くと左手に目的地の古いコンクリートのビルが見えてくる。目的地に続くビルの壊れそうな外階段をゆっくりと上っていく。途中、足元が滑りそうになりとっさに手すりに捕まる。濡れた鉄の階段をハイヒールで上るのはかなり危険だ。そのまま手すりに捕まって目的の三階までたどり着く。鉄の重い扉を全身の体重をかけて押し開くと暖色系の蛍光灯の光と雑音が溢れ出してくる。遅れて油の匂い。物理的な圧力さえ感じて仰け反りそうになる。名前も知らない店だけれど、内装や雰囲気から察するにどうやら中華料理屋らしい。テレビからの音声や店に居る客や店員が話す声は広東語だ。さっきのドルは使えるだろうか?少し不安になりながら適当な席に座ると水が二つ出てくる。この店員にはおばけか何かが見えているのだろうかと少し不安になりながら水を一口飲み視線をテレビから正面に戻すと、アキラが座っている。どうやら私たちはここで待ち合わせていたらしい。不自然なはずなのにアキラがいるのは当たり前のように感じる。

店員を呼び、(何語で話すべきか分からず、とっさに英語を使って)鳥白湯スープを二つ注文する。
「さすがやな」
アキラが私の流暢な英語を褒める。
「英語はまかしとき」
アキラはにっこりと笑うと、水を一口飲み、氷を噛み砕いている。仲良くなった頃からこの癖は変わらない。
無言の時間。でも嫌じゃない。求めていたのはこの時間だと思う。無言が苦じゃない、むしろ心地よい、私たちの関係はそんな関係だ。こんな夜中に、こんな訳の分からない場所で二人で会っているなんてイかれてるけど最高だ。持つべきは最強の親友、最強のアキラだ。控えめに言って愛してるよ。

二人の共通の友人の話をしていると、鳥白湯スープが運ばれてくる。片言の英語で「トゥーチキンスープ」と店員の女性が無愛想に言いながら、器を手渡してくれる。白く濃く濁って透明の油が浮いたスープ、立ち上る湯気から香る匂いで口内いっぱいに唾液が溢れ出す。鶏肉、白菜、長ネギ、しいたけ、糸唐辛子。シンプルな具材だが豪華だ。ごちゃごちゃしていないし、麺も入っていない。深夜も1時に近づいてきているこの時間に食べるこってりは最高に罪悪感があって胃に染みて、そして旨い。赤いレンゲにスープを満たし、数回息を吹きかけるとゆっくり口元に運ぶ。

暗転。

数回瞬きをすると暗闇に目が慣れてくる。ぼんやりと見えるのは見慣れた真っ白な天井。ホームステイ先の自室のベッドに着替えもせずに寝転がっている。寝転がったままTシャツとスキニーパンツをもぞもぞと脱ぎ捨てる。さっきまでのは夢だったのか。ドルと広東語と日本にいるはずの親友なんて謎な組み合わせの出現だと思ったのだ。パーティーで飲んだアブサンがいけなかったのか。緑色の悪魔め。いや妖精?女神だったか?とにかく、酒を飲んで変な夢を見るなんて良くないことだ。
ふとスキニーパンツのポケットを探ってみると$5が3枚と$10が2枚。現実と夢が錯誤している。もしかしたらこの夢はその内正夢になるのかもしれない。もしくはこの世のどこかにあるパラレルワールドの入り口からたどり着けるんだろうか。あの路地も、あの店も、味は分からなかったけど凄く美味しいはずの鳥白湯スープもきっとどこかに存在するはずだ。そういえば、日本にいた頃、居酒屋のシメで鳥白湯半分こは定番だったな。そんなことをぼんやり考えていると急にアキラに会いたくなる。サイドテーブルの上のiPhoneに手を伸ばしLINEを開くとアキラのアイコンをタップする。
『さっきアキラの夢見たわ。二人で鳥白湯食べるとこだったけど食べ損ねた』
iPhoneの時計は日曜日の午前1時16分を示している。日本は土曜日の17時だ。今何をしているんだろう。元気だったらいいな。返信が来る前に強い眠気に襲われ眠りに落ちる。

真っ青な光。また違う夢が始まったのか。今度は誰が出てくるんだ。

【あとがき】
私がよく見る夢です。初めて見たのはシアトルに居た三年前。
それからしょっちゅう同じ夢見る割に、スープを飲めた試しがない。けど、美味しいって分かってるんです。不思議。
あの名前も知らないお店はこの世のどこかに必ず存在するので、いつかちゃんとスープ飲みたい。親友と一緒に。
話の内容は一瞬の誇張なのであれです、実際とは全然違う。パーティーよく言ってウィスキー飲みまくってたけど、アブサン飲んだこと無い。笑

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