熊本地震から5年


熊本地震から5年。

もう五年が経ってしまったんだ、という印象です。
あの日で以前と以後との区切りがあって、地震後の生活をしています。
見た目は以前と同じで、全く以前とは別物の暮らし。失ったものは帰ってこないし、取り戻せないものがある。復興を指して「○○を取り戻す」という表現には今も違和感があるままです。

大きな災害の後、数年経つと必ず起こるのが忘却の問題。沢山の人が「忘れないで」って言っていますが、ま、忘れないのは本当に難しい。
あまりにつらい話、自分のメンタルがやられてしまうようなものを好んで見聞きして、それを広めたい人は多くない。つらいことはインもアウトも削られるから。よく災害が起きると言われる、見てしんどい人は災害の報道は見ずにテレビを消して、情報から離れてって。これもそういうことだと思う。忘れないでって言っても無理な部分がある。

でも体験者が居るうちは誰かが口で言って伝えられるから、まだ保たれる。
でも直接見た人がいなくなった後はかなりきびしくなってしまう。各地に災害伝承碑があるのは、先人たちはそれがわかっていたからなのかもしれません。石碑にして確実に残る場所に建てれば、誰も知る人がいなくなっても伝わると考えたのだと思いますが、そこまでのことをしても、そういう石碑があったことも忘れられてしまう。

132年前の熊本地震について、計算では今80代以上の人の祖父母は知っているはずで接点があった世代なのですが、話を聞いたという人がほとんどいない。日記などに書いた人も複数いると思うのですが、表に出ているのは数えるほど。忘れられたり捨てられたり蔵に眠っていたり、記録が残り人の目に触れるのもなかなか難しい様子。

結局は忘れられていってしまう。
忘れないなんて無理で、忘れられるのが当たり前。
効果的な対策もない。

なんか全然明るくないことですが。こんなこと、自分が災害の体験をしなければ気づかなかったなあ、と思っている5年目の春です。


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忘れられるのが当たり前なんて言いつつ、2年前、「地震と歌と生活と 熊本に暮らす歌人が出会った熊本地震」という本を出してます。
歳月の淘汰で消えちゃうのかもしれませんが、私の本も含め、たくさんあれば残るのも増えるんじゃ?と思いつつ。

地震と歌と生活と


当時発表した短歌作品や散文、20000字のルポルタージュとともに、4月14日から2週間のツイッターのつぶやきを時系列で並べたものや写真、食事日記も収録しています。

現在も販売しております。一冊700円でお分けしていますので、よろしかったら。ご希望の方はお知らせください。


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