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久川颯ちゃんの発信

 放課後、颯が教室から出ると廊下の向こう側から段ボール箱を抱えた先生がのたのたと歩いてきた。両手でホールドしている段ボール箱は見るからに重そうだ。
 颯は先生に近づいて言った。「先生、代わりに持ちましょうか」
「ああ久川さん、大丈夫ですよ。と言いたいところですがしんどいです。一緒に持ってもらえるととても助かるのですが頼んでもよろしいでしょうか。そのほうが官民一体っていうか、ナイスですよね」
 先生は息を整えつつ言った。そこで颯は先生と並んで手を伸ばし、二人がかりで箱を持った。
「どこまで持っていくんですか?」と颯。
「手伝ってくれてありがとう。職員室に持っていきます」
「了解」
 二人はゆっくりと段ボール箱を運んだ。職員室はそう遠くなかったが箱はかなり重かった。颯は気合を入れてなんとか箱を支え持ち、職員室の入り口まで辿り着いた。
「私の机に置きましょう」
 言いながら先生は職員室に入り込む。颯も従った。先生の机は職員室の奥の方にある。
 箱を机の上に置くと、ドシンという音がした。颯は聞いてみる。
「めっちゃ重かったですけど、なにが入っているんですか?」
「書類ばかりですよ。ペーパーワークがいっぱいあるんです、教師という仕事の中には」
「そうなんですか」
 と颯が適当に答えると、先生の机の上に一枚の紙が置かれていたのが目に入った。紙の一番上には「英語小テスト・解答」と書かれていて、その下に英文の列がいくつかある。颯はなんとなく英文を目でなぞった。全体を読んだところで、先生が言った。
「久川さん、助かりました。ありがとうございます」
 颯は視線を先生にパッと向ける。
「いやあの、困っているときは助け合うほうがいいでしょうから……」
「そうですね、やはり団結して困難に立ち向かうのが人間として美しい営みですよね」
「ええ」
 そして颯は職員室を出た。頭の中には小テストの解答がなぜかハッキリ残っていた。

 後日、英語の授業で小テストが課された。クラスの面々がテストなんか面倒臭えええええと叫ぶなか、颯は解答欄を埋めていった。解答の記憶は鮮明であり、周りでシャーペンが机を叩く音を聞きながら、颯はすべての問題に答えた。
 これってカンニングだ、と颯は思った。でも、テストでいい点数を取るのは悪いことじゃないと思う。正しい解答が書けていれば、教師から自分への評価も上がるだろう。だけどこれは卑怯な行為だ。
 そう考えているうちに小テストの解答時間は終わり、答案が回収された。颯は先生の腕に収まった解答用紙の束をぼーっと見つめた。

 颯はプロダクションに行き、プロデューサーと会った。
「Pちゃん、これ見て」
 言いながら颯は英語の小テストの解答用紙をプロデューサーに渡した。
「ん? 英語のテストか。満点だな! すごいじゃないか」
 プロデューサーは丸がいっぱい付いて、パーフェクトな結果を示している解答用紙を見つめた。
「うん、満点なんだけど、実は」
 颯は事情を説明した。解答を先に見てしまったこと。カンニングとわかっていたけれど自分を止められなかったこと……プロデューサーは相槌を打ち、無表情で颯の話に耳を傾けた。
「試験のカンニングは、僕もやったことがある」
 話を聞き終えたプロデューサーは言った。颯は目を見開く。
「Pちゃんも、経験あるの?」
「そうだ。しかも結構、人生の節目と言える局面でカンニングしてしまった」
「えっ、それって……」
「いま思えば、あんなことやらなければよかったと感じるよ。だが事実は消せない。悪いことをしたと思うけどね」
「そっか。はーも、悪いことしちゃった……」
「僕に比べれば颯はそう悪しきものじゃないよ。言い訳になってしまうが、常に正しいやつはなかなかいない。不正をやる可能性は誰にだってある。できることがあるとすればその不正を繰り返さないことだろう……これは自戒だな」
「不正を繰り返さない、か」
 誰にでも不正をする可能性があるならそれを最低限に抑え続けるのが正しい答えなのだろう。颯は心を支配していたモヤモヤから少しだけ解放された気分になった。
「颯、話はまったく変わるが、実は新しい企画が始まった」
 プロデューサーは改まった口調で言った。颯はびっくりして身を乗り出す。
「どんなやつ? ライブ? お芝居?」
「新曲をリリースするんだ」
「はーの新しい曲? マジで?」
「マジだ。加えて、その新曲が入ったCDには颯のサイン入りブロマイドが同梱される。ブロマイドは今回の企画のためだけに生産されるから、手に入れようと思ったら今回のCDを買うしかない」
「つまり、レアアイテムだと」
「そう。レアなブロマイドを付けることで売り上げをアップさせようという意図なんだな」
「商売としては、そのほうが正しいってことだね」
「よくわかってるな」
「まあね。それで、どんな曲なの?」
 プロデューサーは詳細を説明し、颯はそれを頭に叩きこみ、新曲の収録やジャケットの撮影、ブロマイドの作成が始まった。颯は張り切って唄い、パワフルな曲に仕上げた。カンニングの記憶はまだ残っていたが、元気を出して新曲を完成まで持っていった。
 そしてリリースされたCDの売り上げは好調だった。特製のブロマイドの評判もよかった。SNS上で「かわいい颯ちゃんのブロマイドゲット!」というコメントと共にブロマイドの画像がアップされているのを見ると、颯は嬉しくてたまらなかった。

 ある日の放課後、新曲の評価が高めで、いい気分になっていた颯にプロデューサーが連絡してきた。なるべく早くプロダクションまで来てくれ、というので颯は急いで赴いた。
「なんかあったの? Pちゃん」
 プロデューサーはいい知らせがあるから呼び出したという雰囲気ではなかった。プロデューサーはゆっくりと言った。
「実は、颯の新曲のCDを万引きしたリスナーが出たんだ」
「万引き? はーのブロマイド入りのCDを?」
「そう。どうしてもブロマイドが欲しくて、でも金銭的に余裕がないから万引きしたという話だ」
 そのとき一枚のCDを買う余裕がないほど厳しい状態だったのか。けれども万引きはどう見ても犯罪だ。不正な行為だ。だがそのリスナーは颯のCDが欲しかった。つまり颯にとってはお客さんだ。お客さんは少ないより多いほうがいい。自分の歌を聞いてくれる人がいるのは悪いことではない。その点では正しさがある気がする。
 これをどう見たらいいんだろう、と颯は悩む。不正な行為をした奴だとそのリスナーを断罪すべきだろうか。はーの歌に興味を持ってくれてありがとうと考えるべきなのか。正か不正か、自分はどうジャッジするのがいいんだろう。誰が決めてくれるんだろう。

 そんなふうに颯が悶々と日々を過ごしていると、姉の凪が颯の部屋にやって来た。凪はトレーディングカードゲームのデッキケースを持っていた。
「はーちゃん、デュエルしませんか? 新しいデッキを組んだので、調整したいのです」
 そう凪は言った。最近カードゲームしてないな、と思って颯は返事をした。
「別にいいけど、はー、ここんところあんまりデッキいじってないよ。対戦しておもしろくなるかな」
「いいですよ。とりあえず試運転したいだけなので」
「そっか、わかった」
 颯は自分の机の引き出しからデッキケースを取り出した。「凪の部屋でやりましょう」と凪が言ったので、颯は凪の部屋に入り、プレイマットが敷かれたテーブルを挟んで向かい合った。デッキをシャッフルし、先手後手をじゃんけんで決める。先手は凪になった。
「対戦よろしくお願いします」と互いに言って、初手を七枚引く。凪のデッキはゲームをゆっくりとコントロールするタイプのデッキだった。対して颯は速攻で相手のライフを削り切るデッキで、両者の戦い方は真逆だった。
 颯が果敢に攻撃しても、凪は妨害カードをキャストしたり、颯の手札を捨てさせて攻撃用のカードを叩き落としていく。けれども颯は諦めずに攻撃し続ける。
 ゲーム中盤、凪の動きが止まった。手札にいいカードがないようだった。
「なー、事故ってる?」と颯。
「そのとおりですね。やはりまだ調整の余地があります、このデッキ」凪はそう言った。
「こっちにしてみれば、攻撃のチャンス到来だね」
 颯はテンションを上げて山札からカードを引く。そのとき、つい指が滑って二枚引いてしまった。
「あっ、ごめん。二枚引いちゃった」
「おやおや、公式戦では反則になっちゃいますね、それ」
 反則、つまり不正だな、と颯は思った。高まったテンションが急に下がる。それがプレイングに現れたのか、試合の流れは凪がゲームを支配する展開となり、颯は敗北した。
 凪がテーブル上に散乱したカードを見つめて言った。
「対戦ありがとうございました。デッキの改善点、いっぱいありますね」
 颯はできるだけ静かな口調で聞いた。
「ねえ、なー。カードゲームの大会とかでさ、どうしても勝って、欲しい景品を手に入れたいと思ったとするじゃん?」
「ええ、それで?」
「もしも、どうしても勝ちたいのなら、反則してでも勝ちたい? それか、相手が反則して負けることを望んだりする?」
 凪は颯以上に静かな口調で答えた。
「反則して勝ったり、相手の反則負けで勝利してもまるで嬉しくありませんから、そういう望みは持ちませんね。不正な勝ち方で勝っても、全然楽しくないし、嬉しくもないし、自分のプラスにもなりませんから。勝ったとは言えません、そのような勝ち方では」
 颯は凪をじっと見つめ、息を吐いた。
「……そっか、それがなーの考える正なんだね」
「正? まあそう言えますね。ところではーちゃん、もっとデュエルしましょう」
「えっ、まだ戦うの」
「もっと試合すれば、もっと改善点が見つかるはずです。付き合ってくださいな」
「しょうがないなー。じゃ、やろう」
 颯と凪は再び戦った。その後の対戦でも、プレイングのミスや打点の計算の間違いがあり、悪手があった。常に正ばかりではなかった。
 不正のない試合がなかなかないように、人生も不正がたくさんあるのだろうと颯は思った。カンニング、万引き、ほかにも不正は自分の人生を取り巻いている。
 自分が生きていく上で不正を経験するのなら、その実際に経験した不正を管理するのは自分だけだ。誰かが測って、面倒を見てくれはしないだろう。
 プロデューサーも言っていた。不正を繰り返さないことが大事だと。自分の中の不正を忘れずに、不正と付き合うことで繰り返しを抑える、それぐらいしか自分にはできないな、と颯は思う。

「ブロマイド付きのCDの売れ行きが好調だったから、早くも新曲を出すことになった。颯もだんだん人気が上がってきたな。これ、歌詞だ」
 プロデューサーは満足げに颯に言った。颯はプロデューサーから新曲の歌詞が書かれた書類を受け取った。
「人生の応援歌的な歌だね。負けてもいい、ダメ人間になってもいい、だけど諦めないで、っていう」
「こういう歌詞は気に食わないか?」
「ううん、そんなことない。早く唄いたいよ」
 これは正の歌だな、と颯は思う。この歌を聴いた人が、自分の中の不正を正に変えられたら、すごく嬉しい。

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