二度目の「花束みたいな恋をした」(ネタバレ注意)

六本木のTOHOシネマズで、初めてポイントを使ってポップコーンを食べながら観た一度目。そして雨の中、家で観た二度目。こんな風に書くと、自分があの2人のようにならないか心配になってくるが、二度目観て感想を整理できたのでそれを綴ろうと思う。「花束みたいな恋をした」は、ラブストーリーだけど、ラブストーリーだけではなくて、時間の流れ、過去・現在・未来を描いている作品だと思った。あまりハマらなかった友人は、ただ付き合って別れる話だから好きじゃないし、なんでみんながあんなにいいと言っているか分からなかったと言っていて、確かに同意だ。ただ出会って一般的な恋愛をして、でも価値観合わなくなって別れた物語。でも、私は、あの日の砂浜で絹ちゃんが感じたこと、永遠ではないこと、でも麦君は永遠を求めていたこと、この違いが核であり、あの砂浜のシーンがこの映画のテーマだと思った。それから、これは多くの人が言っていたけど、2人のつながりは「サブカル」で、だから価値観が合わなくなっていったこともこの映画の肝だ。恋人でも友人でも家族でも、価値観は大切だと私も思う。私も先日、大学入学時からずっと仲良くしていた友人と険悪になってしまった。しかも就活関連で。おそらく私とその子は、麦君と絹ちゃんのように、相手が変わってしまっても、それを受け入れ、一緒に生きていこうと思えなかったのだと思う。人間の核みたいな部分で繋がれていなかったのだと思う。そう考えると、今の私にはその核で繋がっている人たちはどれくらいいるんだろうと思う。多分すごく少ない。それくらい人間関係は難しい。多分どっちも悪くない。でもそれをただ価値観の違いで流してしまうのも違うのではないか。もし相手が自分の価値観に反することをしていても肯定できる存在なのか、それともちゃんとそれは違うと言いあえる関係なのか。それは個々人でも違うし、どちらが正解でもないし、そもそも流れていくものが人間関係だと言う人もいるかもしれない。難しい。ただ、2人が再会した後、麦君も絹ちゃんもあのときああ思ったなとか、あのときああしたなとか、互いのことを思い出していて、多分その時はお互い好きで、ちゃんと好きで、溢れるくらい幸せで、反対に、すごくあの人のことが嫌いで恨んでいて、ということもあるかもしれないけど、ただ分かるのは、それは確かにあってそれは私達が生きた証であり、人間関係であのとき確かにそう思ったと肯定できるということなんだと思う。私はもう二度と会わないかもしれない人びとのことを思いながらこの映画を楽しんだ。それはずっとそうだし続いてく。ただ時間は流れていく。

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