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自身の句境を深める選評とは 〜まのあたり句会2023秋を受講して〜

秋の大まのあたり句会に参加した。まのあたり句会は前々から気になっていたが、今回初めて参加した。

講師の先生方は、
【青山教室会場】 小川軽舟、堀田季何、神野紗希、岩田奎
【梅田教室会場】 岸本尚毅、山田佳乃、若林哲哉
である。豪華!若い!

いわゆる先生同士の句会を見るのは初めてで、楽しく学べた。
本講座に参加して考えこと、感じたことをまとめます。

公開句会から考える、先生方の選評の特徴

同じ句会の選評でも自分のような俳句初学者と、先生方では何が違うのか。3点挙げてみる。

1. どこまで鑑賞すべきかのラインを見極めている

「深読みをするのもいいが、ここで鑑賞を止めるのもいいと思う」というコメントがあった。これは目から鱗だった。

俳句は言葉を最小限に留めて読み手に委ねることで、表現したい世界を立ち上げる文芸だろう。だが、鑑賞において、言いたいことを言い尽くすことが常に正ではないという見方に触れたのは初めてだった。

鑑賞には、イメージを固着させる効果がある。例えるならば、小説を映像化するような感じだ。だから、その場の読者の想像性をかき立てるギリギリのポイントで鑑賞を留めると、句が最も豊かになるのだろう。

鑑賞においても、その塩梅を見極める訓練をすると、きっと句作にも活きるのではと学びになった。

2. 自己分析を含む

ある先生が「自分はこの季語に関して、こういう "人との関係性" を描いた句に惹かれる傾向があるとわかった」と自己分析をしていた。

そうした季語に対してのスタンスなどを客観的に考察することで、句会を通じて自身の作家性を深めているように思えた。

3. 自分ができること、できないことに対して意識的

先生のコメントに「上五中七はつくれるが、この季語は置けない。"自分じゃできない" というものはいいなと思う」というのがあった。

句会の褒め言葉で「自分じゃ詠めない句」のようなコメントは聞いたことがあるが、それを一歩進めて、どこまで自分ができて、どこからできないかを先生方は常に意識しているように感じた。

そうした作者としての追体験の精度を高めると、句会から得られるものはより多くなるのだろう。


僕の勝手な思い込みやバイアスかもしれないが、総じて先生方は句会の選評においても、句境が深まるような向き合い方を自然としているように感じた。そこに触れられたのが、まのあたり句会の最大の収穫だった。

印象的だった先生方の言葉(第一部・第二部)

もメモしておきます!

季語について

  • 俳句にしにくい句材も、強い季語であれば、俳句に引き摺り込むことができる

  • 季語と措辞が実際に空間的に同居しうる。理屈なくモノとして季語と措辞が響き合うとゾクゾクする

  • 場面的にも、五感としても、字面としても季語と響く。多面的に季語と響き合う

  • 兼題「十三夜」について。歳時記であるような「秋が深まり、完全ではないゆえの寂しさ、風情」に則って詠むと、句の方向が一点に集中してしまう。そこからアプローチをずらして、どういう情緒を出すかが大事

  • マイナーな季語を「知っている」という顔でかけるのがすごい

  • 偶然の産物の面白さがある。妙にリアルな取り合わせにゾクゾクする

  • 季語と近いけども、破滅の予感があって良い。主観で現実をつかみ取っている

  • ホトトギス雑詠選集では、単なる季節を扱ったのは、春夏秋冬の中で、秋が一番多い

  • 天気と植物の取り合わせは難易度A+。もう1つ要素(描写)が必要となる

  • 季語と一体になるまで主観的になっている

俳句の見方について

  • 俳句は三つのキーワードで三角形のイメージを作る。そういう意味でこの句はすごい二等辺三角形 (→ 僕も同じイメージを持っていたので嬉しかったです 笑)

  • 十七音の中でどれだけのことができるか。ここまで大胆にいけるかと思った。この句は「読者への信頼に応えねばならない」という一心で選んだ

  • 都会詠で映像の再現性が高いと、とても惹かれる

技法や推敲について

  • 表記にこだわった結果「ここが読解のポイントですよ」とわかりやすい蝶番になってしまったのが残念。ここはプレーンな表記でいってほしかった

  • 見たものをどうリアルに書くかというときに、視覚以外のものをどう取り込んでいくかがポイントになる。形容詞を共感覚として喚起できるとポエジーやリアリティが出てくる

  • 名詞を入れ替えていった。反戦みたいな強いものから、弱いものへ名詞を入れ替えていって、最終的にここまで弱くなった

  • 「光る」は一般的に甘くなりがち。それが生きている

  • (かな、で着地する句に対して)散弾銃みたいに言葉が出てきて、大きい言葉に着地する。イメージが上塗りされて、最終的に1つの景色を結ぶ面白さがある

  • 悪意敵意が満ちた世界であるが自分はそうじゃないという前提、それが動詞1つで伝わる

  • 子供の不思議な動きを自然現象に喩えた

  • 意味としてはそうなんだけど、句としては言わない方がいい

  • 作品は(作者名や作品名を出さずに)前提としたり、作品世界に入ってしまうという手もある

  • 願望を現実のことのように詠むと、リアリティが出てくる。そういう時は断定しちゃうと良い

出題について

  • 最近、石鼎の句集を読んで初めて、梧桐の実を「ごとうのみ」と読むのを知った。それで使ってみたくなって出題した

  • みんなに出すのは字題がいいなと思った。順当じゃないもの、調和しにくいものを俳句に詠み込むのが面白い

  • 使いにくい六音季語だったゆえに闘争心が沸いて20句つくっちゃった。五音季語だったらこんなにつくらなかっただろう

便利そうなコメント

  • 「はぁと感動しました」

  • 「心に入ってきてくれました」

  • 「なんで取らなかったんですか?」

  • 「よくこの季語を置いてくれたと感謝したい」

  • 無点句に対して、「点の入らない句だと思います」

  • 「大成しない素材の可能性がある。この句としてはこれが上限」

  • 「この季語を使うのは人生で最初で最後だと思う。普段使う季語は数百もない。全く心が動かない季語もある」

  • 「句会運は総量が決まっている、という都市伝説がある。今日、ボウズでも無駄使いしなくてよかったと思えばいい」

以上です。自分の句はボウズでしたが、とても学びになりました。
小川軽舟先生、堀田季何先生、神野紗希先生、岩田奎先生、岸本尚毅先生、山田佳乃先生、若林哲哉先生、ありがとうございました!


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