詠みたい俳句を詠むとは
間もなく俳句を始めて1年が経つ。1年前の自分に、
これからお前は俳句を始める
俳句集団に入って、松山でも東京でも会う友達ができる
夫婦で夏井先生から、特選句に選ばれてサインもらう
NHKとテレビ愛媛で俳句が読まれる
俳句を眉村ちあきの歌詞にしてもらえる
なんて言っても信じないだろう。W杯で日本がドイツとスペインに勝つのと同じくらい信じない。冗談八富利のカリフラワーである。
だが実際にはそうなったわけで、人生は本当にわからない。
来年も何が起こるか、まったくわからない。
ただ結果は予測不能でも、どういう俳句を詠むかは、自分で決められる。
今年の自選句を迷いながら選んでいたら、自分がどういう俳句を詠みたいかぼんやり見えてきた気がした。
それを道標として記します。もしどなたかのご参考になれば幸いです。
自選句をどう選ぶか
初めての自選。やはりここは入選作が中心になるだろうか。そう思って、入選句の中から、賞レースとしての競争倍率が高かったと思われる五句を選ぶとこうなった。
並べてみると、2022年色々あったな〜と思う。
冷凍焼売を買った日や、初めて四国に行った日が懐かしい。
それはさておき、この5句を見ても余り心が踊らない。最初の2句はいいとして、あとの3句は先生の鑑賞を読んだりしても、どうも胸を張れない。
何というか、俳号名刺に載せる気にならないのである。
「これがつまり僕です!」と言いたい句ではないのだ。
いずれも自分が詠んだ句ではあるし、確かに自分にそういう側面はある。
僕は蛾を見て「うっ!」と思ったことがあるし、高校進学で親元を離れた。肉焼売と貝割菜のレシピ動画も見た。
それぞれに自分なりの感動があって、十七音にまとめた。そして多分俳句の力を借りて、詩情を得ることができた結果として、これらの句は入選したのだと思う。
だが、それぞれの俳句がもたらすであろう感動は、僕にとって共有できたとして、さほど心躍るものではない。
例えば僕は、自分の耳の形が好きでも嫌いでもないが、それと同じだ。自らを構成する不可欠の要素ではあるが、積極的に主張したいわけではない。
そうした句が入選句に存外多かった。今年は、とにかく俳句の習熟を目標として、『20週俳句入門』の型通りに詠んでいたからというのもあるのだろう。
で、入選有無を無視して、「これがつまり僕です!」と言いたい五句を選ぶとこうなる。
いかん、好きすぎて七句選んでしまった。
これが僕の「世に出してテンションがアガる」という意味での自選句である。
詠みたい俳句を詠むジレンマ
僕にとって、自選したい句とそうではない句との違いは何だろうか?
句の共通点から考えてみて辿り着いたのは…
言葉のリノベーションを目指している
ポジティブさや、可笑しさを目指している
の2点である。僕は、この2つを満たした俳句を世に送り出したい。
この「詠みたいポイント」は人によって大きく違うだろう。とにかく詩情を追求したい人もいるだろうし、徹底的に写生したい人もいるだろう。世界の見方を伝えたい人や、切実な思いを詩に昇華したい人もいると思う。「詠みたいポイント」のパターンが複数ある人もいるはずだ。
だが、こうした「詠みたいポイント」というのは、俳句の評価とは残酷なまでに無関係だ。
というか、初心者にとっては「詠みたいポイント」を満たした句の方が入選しにくいかもしれない。
『20週俳句入門』の型に代表されるように、俳句には一定の評価を得やすい方法論がある。十七音しかない俳句で、その方法論を適用すると、自分の「詠みたいポイント」を表現する余地はどうしても小さくなる。
結果として僕の場合は、一般的方法論に沿って仕上げた句の方が多くなり、入選句のボリュームも多くなった。
稀に一般的方法論と「詠みたいポイント」が合致するケースがあって、それが案山子句やルンバ句だった。個人的にはペーパームーン句もそうだと思っている。
あとは半ば無理やりに「詠みたいポイント」を通したのが、先ほどの自選句たちだが、そうした句は選外となった。僕にはまだ「詠みたいポイント」を、俳句の力を借りて表現できるほどの俳筋力がない。
詠みたい俳句を詠むために
でも、僕は諦めていない。
2023年、基本的には「詠みたいポイント」の達成を虎視眈々と狙う。が、無理そうならば、俳句としての出来の良さと俳筋力を高めることにフォーカスする。
そうやって投句してフィードバックを頂いたり、インプットを増やしたりして、俳句というツールの適用範囲を地道に広げていこうと思う。
そのうちに、使い込んだ仕事道具のように俳句を扱って「詠みたいポイント」を毎回押さえられるようになる日が来ると思っている。
そうしていつか、「詠みたいポイント」が句風や句柄の骨格として、自他ともに認められるようになったらハッピーだなと思う。
俳句1年目でわかったのは、「俳句としての良し悪し」と「詠みたいポイント」は独立して存在するということだ。
特選句を見ていると、その両方を兼ね揃えた句が多いから、一緒くたに考えたくなる。けど、その2つをミックスする時機は、人それぞれだと思う。
俳句歴が浅くともそのスタイルでやっていける人もいるし、「詠みたいポイント」の性質上、長くかかる人もいると思う。
僕の場合、型や基本を身につけることが好きだし、「詠みたいポイント」を性急に求めると先細りするような気がしている。なので、俳句というツールを自在に操れるようになる日まで、「詠みたいポイント」をもったいぶって楽しんでいこうと思う。
句友の皆さま、2022年は誠にお世話になりました。
人生で初めて、趣味らしい趣味を持ちましたが、(夫婦で)俳句を始めて本当によかったなと思います。
皆さま、良いお年をお迎えくださいますように…!
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