苗字が同じ俳人は何となく気になる。歳時記で出会うと、ちょっと余分に目を通しておこうという気になる。僕の場合は、阿部みどり女、阿部青蛙、、、そして阿部完市だ。阿部完市の
が好きだ。通称あべかん、本記事でも尊敬を込めてあべかんと呼ばせて頂きます。
そんなあべかんが『絶対本質の俳句論』という、インパクト絶大のタイトルの本を遺していた。鱗読書会で教えてもらって、すぐにポチった。
「絶対本質」なんてねぇ、なかなか言えないですよ。このタイトルはどうしたって「巷で言われているのは本質じゃないぞ!」的なニュアンスを醸し出してしまう。
自分の仕事で「絶対本質の〜論」なんて打ち出したら、ボコボコにされる未来しか見えない。それを俳句で打ち出したあべかん。シビれますね。
で、実際の中身はどうだったか?
タイトルに相応しい内容だったと思う。
「俳句とは、どういう詩なのか?」を論じ上げたように感じる。「次を求める詩」というのが、本書の答えだと思うが、そう答えるための論拠を、時間論、音韻論、定型論の3点から述べている。
いずれも古今東西の文献や実験結果から、論を展開していた。文献部分は読み飛ばしてしまったが、論の要所要所にあべかんの気合いが漲っているように感じる。
納得感のある言葉がたくさんあったので、以下まとめてみた。わかりやすくするために、本文をかなり編集していますのでご留意ください。
メッセージ1. 俳句は理性に頼らないものである
メッセージ2. 俳句は直感的に把握するものである
メッセージ3. 俳句とは次を求める詩である
以上です。
本書の中で、あべかん自身が幻覚剤のLSDを摂取して句作するという、今では実現が難しそうな実験もしてたりするので、気になった方はぜひ手に取ってみください。
ありがとうございました!