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『証言・昭和の俳句』で解けた、道後俳句塾の小さな疑問

黒田杏子先生が逝去された。いつき組の自分にとって、組長(夏井いつき先生)の師匠である杏子先生は大師匠のような存在であるが、お目にかかったことはなかった。

ただ、『瓢箪から人生』で描かれた、

  • 赤ワインを一緒にガンガン飲んでくれる

  • 大柄で創作作務衣を悠々と着こなす

  • 組長再婚時に兼光さんを紹介したときの言葉「夏井いつきは貧乏です! 再婚する以上は、心して支えてやっていただかねばなりません」

の大らかなイメージと、昨年の道後俳句塾でのコメントをお聞きして、いつかお会いできたらと思っていた。

杏子先生の足跡を尋ねるため『証言・昭和の俳句』を読んだ。昭和の俳句史が臨場感たっぷりに語られた名著だった。

何が素晴らしいって、話者の人柄や雰囲気が、文面から伝わってくることである。単に一問一答形式でインタビューしてもこんな風にはならない。杏子先生は、季語を立てるように、人を立てる方だったのだと思う。そのための仕事ぶりは、前がきから伝わってくる。

「私も五十代最後の仕事になります。万一お引き受けする場合は、いろいろな条件がクリアされませんと」と申し上げました。そして何回かの打ち合わせの結果、次の各項目が確認されました。

1. 証言者の顔ぶれは最初に確定し、証言者の方々に確認、納得していただく
2. 準備期間を十分にとる
3. 証言の収録には時間をかける
4. 『俳句』掲載のときは、すべて証言者の一人語りの形式に統一。事前調査及び打ち合わせ時の、黒田の質問項目は小見出しに生かす
5. 証言時点での自筆作成年譜と自選五十句をいただく
6. 一人語りの体裁となった証言内容のチェック、ゲラ構成の時間を証言者に十分差し上げる
7. 写真を多く載せる。証言者所有提供のものに限らず、角川書店、俳句文学館ライブラリーほかの写真も集めて生かす
8. 未来への遺産となる記録として、昭和史を俳句から眺める。広く読者を獲得できる内容を目指す
9. 証言者のラインナップは流派を超えて大胆に絞り決定してゆく
10.『俳句』編集長は打ち合わせ、証言の場に終始同席する

これは、考え得る最高の条件でした。

※ 一部改編

自分が仕事をしていて、こうした条件を示す人がいたら「うわ、めっちゃプロフェッショナル来た!」と思うだろう。

そして、その意気が結実したのが本書である。

証言者の先生方が過去を語るにあたって、自ずから俳句との向き合い方について語る場面もあった。その部分を以下に抜粋した。これだけでも、濃密な対話があったことが感じられると思う。

1. 桂 信子
造物主の、自然にあるそのものを詠うべきだと思います。作品には命がこもってないとね。永遠のものがあると思うんですよ、消えないものが。
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2. 鈴木 六林男
俳句という形式はかなりなことが言えると思うんです。ただ、俳句というのは読者を選びますね。あの人ならば自分の俳句をわかってくれる、と。でも、小説は読者が作者を選びます。

ところが俳句は、キーワードがパチッと合って鍵があいたら、凝縮しているから爆発して、拡大解釈した場合に一篇の短編小説に匹敵するような内容を導き出せると思うんです。

俳句というのはデジタルだと思うんです。俳句というのは、「いま」がわかったらいいんです。見た人は、その前後を頭の中で計算しないといかん。
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3. 草間 時彦
虚子の選というものが昭和俳句のどれだけ太いバックボーンになっていたかということを知っていないと、昭和俳句史は語れないんじゃないかという気がします。

戦後の根源俳句の誕生、前衛俳句の誕生、そういうものはやはり虚子の選の絶対性が失われたから生まれたんじゃないか。
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4. 金子 兜太
「おまえのいままで七九年間の生涯の代表句は何だ」と問われたら、<水脈の果炎天の墓碑を置きて去る>という、トラック島から引き揚げるときの、あの句と答えます。

俳句というのは日本語表現の根っこの部分でしょう。五七五がそうですね。日本語表現の根っこの部分に身を置いているということが、自分も草の根の一人だということに通じる。協力したり、励ましたりもできる。ときにはいい句をつくって、刺激にもなれるわけだ。そういうことができて、いっしょに平和を大事にしているということは、<水脈の果>の句を作ったときに決意した自分の考えと現在とそんなにずれてはいない。そう思っています。
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5. 成田 千空
私も実は神経衰弱になったことがあるんですが、その状態に陥ると居ても立ってもいられないですね。そんなときにどうするかというと、一つのものを黙って見ているとスッとなります。あれがつまり草田男の写生の根拠じゃないかと思います。

草田男先生の俳句の出発は自分の苦しみからの逃避なんです。(中略)そこからしだいしだいに自分の意識や目覚めとか自己表現としての俳句に移ってきますので、調子のなかに明らかに推移が見られます。
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6. 古舘 曹人
俳句も正岡子規は「ノン・リーダー、即興」ですよ。これが正岡子規の教えた俳句です。虚子になってからそれがなくなっていって、みな先生になった。いまは全員、先生。俳句が座でなくなった。これは危ない。
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7. 津田 清子
ああ、俳句って心に魂胆があって作り上げた句ではなしに、心を空っぽにして新しいものを取り込まないといけないんだ。

見るということは大事ですけれど報告にならないようにね。隣で見ている人の目とは違う、自分の目でものを見てとらえたものでないと自分の俳句にならない。もっと自分というものを中心に置いて大事にしなさいと言うんですけど、なかなか……。見物している俳句が多いですね。
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8. 古沢 太穂
風土というものはただあるんじゃない。歴史を負っているものだ。(中略)いろいろな社会が発展していく中で人間はどんなふうに苦労し闘い生きてきたか。そういうものを負っているのが風土なんだということ。沢木君も早くから社会性とは風土の問題だと言っています。
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9. 沢木 欣一
俳句というものは認識、抒情もなかに含めて知的作用が重きをなす文学じゃないか。(中略)いつもものを見たり何だりして、一つの花でも一つの草でもよく見る。

ぼくは現場という言葉が好きなんだ。場ですね、しかも現場。俳句の場合は何の文芸よりももっと現場を大事にして、そこに根をおろさないと生まれないんじゃないかと思うわけです。
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10. 佐藤 鬼房
文学としてこれだと思うのは譲らないけれど、人と人との付き合いというのは大事にしなきゃいけない。
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11. 中村 苑子
鬱勃として俳句が書きたくなるというのは、やっぱり私は俳句が好きなんだな、俳人なんだなと改めて思ったわ。
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12. 深見 けん二
(虚子の発言)『平凡』と『陳腐』のけじめをわきまえ、平凡のよさがわからなければならない。

中岡武雄さんにしても岸本尚毅さんにしても、虚子にまったく会ったことのない人たちが、虚子のものを読みこんで書く虚子論は、核心のところをついています。人から聞いたり、一部だけを読んで虚子をあれこれ言う人がいるのは困ったことだと思います。
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13. 三橋 敏雄
いちばん軽薄なところから始めて、途中でそれを恥ずかしいと思うようになって、ちがう道を求める。そのうち何となく、ああ、こういうかたちでは俳句は面白くないとわかってくる。その繰り返し、最終的には大人が読むに堪えるか堪えないかですよ。

※ 改行は中略の意

名盤と言っていいような、俳句論の数々が本書にはあった。

それを引き出した杏子先生は、俳句の実作に留まらず、プロデューサーとして稀有な資質を持っていたと言えるだろう。証言のあとがきで杏子先生が

津軽弁の語り口は床しく、どこの舞台でも十二分に独演トークショーのつとまる俳人である。「成田千空を聴く会」、それを、いつか私は東京でプロデュースしてみたいという願望を抱いた。

と書いている部分があるが、きっとプロデュースせずにはいられないタイプだったのだと思う。

そして、そういうプロデューサー目線で、組長は一際目立つ存在だったのではないだろうか。

冒頭に記した、杏子先生の兼光さんへの言葉は、普通に見ると身内への親愛から生まれた言葉と取れる。でも、『証言・昭和の俳句』を読んだあとにこの言葉を見ると、

「あなた、夏井いつきのパトロンになる覚悟はあるの?」

と問うているようにも取れる。それくらいのプロデュース魂が、『証言・昭和の俳句』にはある。

最後に1つだけ、去年の道後俳句塾の思い出を。とある句で、金子兜太先生を「兜太」と詠んだ句があった。その句に対して、杏子先生は、

こういう時、句で兜太と呼び捨てはいかがなものでしょう

とコメントしていた(他の先生方はその点は特に気にしていなかった)。

これが、僕の中で引っ掛かっていた。

実作的には「兜太先生」と書くのは難しい。杏子先生もそれはわかっていたはずだ。なのになぜ、このコメントをしたのだろうか、と。

その疑問が、今回『証言・昭和の俳句』を読んで解けた気がする。

道後俳句塾には、かつて兜太先生も参加していた。コメントの「こういう時」というのは「こういう、最近まで兜太先生と一緒だった句会に投句する時」の意だと思う。

杏子先生は、そういう人情に篤い先生だったのだと思う。季語を大事にするように、出会った人々との思い出を大事にして、その人が輝けるような場所を誠心誠意プロデュースしていく方だったのだと思う。

改めて、一度お目にかかってみたかったです。
ご冥福をお祈り申し上げます。

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