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15年来のOO7ファンが語るNO TIME TO DIE 超絶ネタバレ感想【閲覧注意】

#ネタバレ  注意です!

超絶核心を書いてます。絶対劇場で鑑賞してからお読みください。

前提として、私は007リビングデイライツを中学校1年生の時にテレビで見たことがきっかけで映画ファン、やがては映画のお仕事をするようになった身でございます。15年間007への愛は絶やしたことがありません。各作品を毎年何度も見ており、007シリーズに関しては全作品鮮明に脳内にあります。いろんな映画が好きですが、007は本当に特別な存在であり続けています。

大丈夫ですか?本当にネタバレしますよ??

マジで気をつけて下さいね。

もう見ましたよね?NO TIME TO DIE。

#ネタバレ するよ!!



そんな私にとって本作どう映ったかと申しますと、(本作、感情を話すだけでかなり007としてはネタバレになるのが難しいのですが)大大大大大大感動力作でした。エンドクレジットで大号泣でございました。

普段映画を見てもほとんど涙を流すことはなく、ここ数年で涙を流したのは、イッテQでのイモトさんの結婚発表と、ドラゴン桜のシーズン1を見返してた時の最終話くらいです。

その私が映画館で人目を憚らずわんわん泣いていたのですから、只事ではありません。今までで最高の映画体験です。生涯ベストといってもいいでしょう。

本当に007ファンでよかった。ありがとう!お疲れ様でした!と
号泣しながら、何度も心の中で叫びました。

全く冷静にはなりませんが、頑張って客観的に考えると、007ファンには非常に賛否の別れる作品であるだろうと同時に、意外とそこまで007ファンじゃない人の方が受け入れやすい映画になっていたんだろうなと思います。

しかし、本当に007といえばというイメージを盛り込みながら、007のお約束をことごとく破り、そして最後のあの最期。。。007が死ぬというのは、ご法度、あり得ない、起こってはならないことなのですが、それを私のようなうるさ方のファンにも納得させるだけの力が本作にはありました。

大量にこういう話をファンは語るんだと思いますが、007過去作を具体的に連想させるシーンをいくつかあげます。
冒頭のDB5でのマドレーヌとのドライブとプレタイトルと本編間の数年の経過は「ゴールデンアイ」、墓参りでスペクターに襲われるボンドや市民的な車(しかも今回はランクル!)で木々の中を無双するカーチェイスは「ユアアイズオンリー」、オープニングタイトルに入る際の赤や青のドットやジャマイカという舞台は「ドクターノオ」、アストンマーティンV8は私の愛する「リビングデイライツ」、南米の現地でのみ活躍する女性エージェントと脆い容器に入った超危険物質は「ムーンレイカー」で、もちろんDB5のここまでの秘密兵器活躍は「ゴールドフィンガー」以来(ただし、まきびしの進化系の登場は「トゥモローネバーダイ」)など数多くの過去作の要素がうまく組み合わされていたと思います。

過去作の中でもとくにまさかここまで「女王陛下の007」を使ってくるとは。"We have all the time in the world"に始まり、Mとのロンドンの街で会うシーンには、
女王陛下の007のインストゥルメンタルが使われ、化学兵器の話でもあり、そして何よりあのラストの喪失感。しかもこの「女王陛下の007」への参照がコアなファンへはミスリードになっていたと思います。マドレーヌが死ぬのではないかと。そういえば、そもそもマドレーヌも女王陛下の007のヒロイン、トレーシーも犯罪組織の娘でしたね。(化学兵器といえば、ワクチンをみんなで打っている時には、あまり考えたくない内容でしたね。陰謀論がチラつきますw)

しかし、それにもまして、とにかく「ご法度」と言えるような展開が多い本作。ボンドガールの過去の回想に始まることがまず驚きですし、引退生活をしているボンド(少しお腹も出ていたということなのでしょうか、ただダニクレ元々ああいう体つきだったような気もします。)、ジーンズを履いているボンド、新007しかも女性エージェント、ゲイとしてのQ、子供の主要人物としての登場、そして何よりフィリックス・ライター、ブロフェルド、ボンドの死。

ガンバレルシークエンスで血が流れないのは、裏を返すとボンドが撃たれている、
つまりボンドの死を表していたのかもしれません。

中途半端にやられたらファン大激怒の地雷要素満載です。
しかし、私は怒らなかった。今までで一番心を揺さぶられた。

この作品の成立は、製作陣とダニエルクレイグの絆が最も大きかったと思います。歴代ボンド俳優はどちらかというと製作陣と馬が合わずにやめていったことが多かったです。ショーンコネリーのようにうんざりしたり、ジョージレーゼンビーのように態度がでかくなっていったりと。ロジャームーアは本当に加齢で円満だったイメージ。ティモシーダルトンは不本意ながら権利をめぐる法的闘争により引退を余儀なくされ、ピアースブロスナンもダイアナザーデイの時に「俺の引退と同時にボンド死んで終わりでいいじゃん」とボンドを軽視する発言が嘘か誠かあったようです。本作のラストはもしかするとここに着想を得たのかもしれませんね。

それに比べてダニエル・クレイグは先日Apple TVなどで公開されたドキュメンタリー「ジェームズ・ボンドとして」を見ても、製作陣との二人三脚感が強く、信頼関係が築けていることが伺えます。やはり、カジノロワイヤルの時の大バッシングを一緒に乗り越えたという絆が強かったのでしょう。この信頼関係があってこそ、思い切ったプロットに振り切れたのではないかと考えます。

話それますが、私はボンドの引退作はアメリカ映画っぽくなるという法則を勝手に打ち出しています。
「ダイヤモンドは永遠に」はラスベガスが舞台で、パトカーとのチェイスまであり、
「女王陛下の007」はアメリカンニューシネマの影響が大きく、
「美しき獲物たち」はサンフランシスコが舞台で、またまたパトカーとのチェイスまであり、
「消されたライセンス」は南米を舞台に、麻薬ものにチャレンジ、しかもダイハードの影響が大、
「ダイ・アナザー・デイ」はハル・ベリーがバリバリのCIAエージェントとして登場します。
今回もそうなるかなと思いましたが、そこまででしたね。ただ、見やすいルックとアメリカ人監督というところはやはり法則通り、という感じはします。サムメンデスのように凝った画作りがほとんどなく、かなりシンプルで見やすかったことはクレイグ=ボンドとしては意外でしたね。

007は世間の流行、特に映画界の流れには非常に敏感で、常に007フランチャイズと時代の潮流との融合を図ってきました。
アメリカンニューシネマ、ブラックスプロイテーション、カンフー映画、
スターウォーズ、インディジョーンズ、ダイハード、ボーンアイデンティティ、ダークナイト、
影響が明らかな作品だけをあげてもこれほどです。

時代に合わせて主演も作風も内容も変えていけるのが007の強みであり、半世紀以上にわたって続いてきた要因です。007としては異例づくしだけども、世間が求めているものを敏感に察知しようとした結果が、「こういうの」だったんだろうなと思います。

「こういうの」とは何かということに一つ回答を示すならば、今回は「アベンジャーズ・エンドゲーム」風007だったのではないでしょうか。ダニエルクレイグ主演作にバラバラに存在していた要素をまとめ上げ、主要人物たちに蹴りをつけ、最後は総力戦をする。そして、プレイボーイな主人公が一人のパートナーに落ち着き、子供を遺し、この世を去る。やはり製作陣としてもMARVELは無視できなかったのだろうと思います。

変容していかないと生きていけない。その意志が劇中のセリフにも表れているように感じます。

History isn't kind to men who play God.
のmen who play Godってボンド自身でもありますよね。
特にダニクレ以前のボンド。そう思うだけで苦悩が見えて切ない。

If we don't do this, there will be nothing left to save.
はさらに、こういう展開をしないと007シリーズそのものがなくなるよってことを指すんじゃないかと思ってる。
ああ。

ここで惜しむらくは、MARVELほど個々の要素がよくできていなかったり、統一感がなかったりすることですね。特に一番依拠していた作品が、前作スペクターだったのは勿体無い。私は大好きですが、全員におすすめできるかといえば微妙ですし、マドレーヌのボンドの永遠のパートナーとしてのキャラ付けも弱く、ブロフェルドとボンドの確執も消化不良でした。

とはいえ、スターウォーズ エピソード9みたいになりかねなかったところを見事にまとめ切った、蹴りをつけていったのは本当に圧巻でした。キャスリーン・ケネディではなく、ケヴィン・ファイギだったというところでしょうか。これこそが007が生き抜いてきた術なのであります。

ボンドの死というのは本当に悲しいですし、戸惑いもあります。何より次どうするのだろうという。個人的には「女王陛下の007」に対する「ダイヤモンドは永遠に」のように、全くなかったことにするという可能性もあるなと踏んでいるのですが。普通の映画であれば、ノーミが主人公になっていくような気もしますが、
“JAMES BOND WILL RETURN”となっているので...どうなんでしょうか。そこは非常に不安ですし、次回作難しいだろうなあと感じます。

しかし、落ち着いて考えると半世紀以上も同一人物なわけがないですし、フィリックス・ライターも「消されたライセンス」でサメに足を食われたことなどなかったようにカジノロワイヤルで復活してますし、色々やり方はあるんだろうなと思います。

あと、007シリーズって結構哀しさが含まれているシリーズだと思うんですよね。結構悲しい調律のサウンドトラックが流れたり、愛嬌のあるキャラクターが無惨な死を遂げていったりすることが他の娯楽作に比べても多いです。今まで何人の仲間が失われてきたことか。第1作ドクター・ノオからクォレルという相棒が焼き殺されていますし、ケリム・ベイ、アキ、トレーシー、コリヌ、フェラーラ、ビジェイ、ティベット、チャック・リー、ソーンダーズ、ヴァレンティン・ズコフスキー...とボンドを支えてきた相棒たちの死を多く描いてきました。そして彼らの死を忘れたいが如く、ビジネスライクに軽く扱われる。本作もボンドの死からエンドクレジットまであっという間です。

そして何より大事なことを本作ノータイムトゥダイは思い出させてくれました。彼はスパイです。スパイなので死ぬこともそりゃあるでしょう。今まで何人の00課が軽薄な死を遂げていったことか。彼らに比べればボンドらしい死に様と言えるでしょう。最後の最期までクレイグ=ボンドらしかったとも言えるのではないでしょうか。ダニエルクレイグだから許される表現でしょう。ボンドは時代に合わせて変化していくんです。時代がボンドの死を求めている、製作陣のその判断を私は重んじたいと思います。毎ボンドこれはやめて欲しいですが。

とにかく15年間007ファンでいてよかった。本当に力の入った007だった。
そしてとにかく私は泣いた。咽び泣いた。明日からどう生きていいかわからなくなった。
心の支えを失うとはこういうことなのか。
こんな思いを映画館でしたことはないです。最高の映画体験でした。生涯ベストでしょう。
ふう、また涙が込み上げてきます。

また、マドレーヌスワンというキャラクターがマルセルプルーストの「失われた時を求めて」の影響大のようですが、私は未読なので、もしご存知の方いれば教えていただきたいですね。

本当に長文お読みいただきまして、ありがとうございました。

YouTubeでも007について色々語っております。よかったらご覧くださいませ。


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