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『彼女は夢で踊る』/ただ理由はなく、美しい(映画感想文)

『彼女は夢で踊る』(20)を観た。
心情をナレーションで処理する映画は手を抜いている。「失恋というナイフが胸に刺さって」云々なんて鼻白む。映画はそんな安直な表現手段ではない、…と常々思っているが、この映画のそんなことなどどうでもよくなる感じは何なのだろう。胸を焦がすとでもいうか。理由のひとつは「絵」の美しさかもしれない。
冒頭から切り取られる「絵」とのその見せ方の美しさがただごとではない。描かれる「場所」に強烈な力がある。
舞台となっている広島第一劇場は実在したストリップ劇場で40年に亘る歴史がある。ディティールを形作っているのは経過した本物の時間だ。もちろんそれを誰が映しても美しさが生まれるというものではない。作り出すのは切り取るフレームを決める監督と撮影の腕である。その風景に独白で語られる心情が重なると、稚拙さがみずみずしさに変換し、いつしか青年時代の主人公が感じるせつなさが沁み亘る。

閉館するストリップ劇場を舞台とした物語に特別なことはほとんど起こらない。こういうだろうなと思ったとおりに登場人物たちは科白を喋りふるまい、こうなるだろうと思ったとおりに筋書きは展開するのだが、時折哲学的ともいえるやりとりが些細な日常の風景のなかにノイズのように紛れ込む。
閉館することが話題になり劇場に取材にきた記者が、支配人である中年となった主人公に「あなたにとってストリップとはどんな意味がありますか」と問う。「そんなん意味なんかないよ」と答える支配人。不満足なやりとりに物足りなさ気な記者が帰ったあと、長年劇場で働くスタッフに「意味てあるか?」と支配人は問う。「あるんすか」と訊ね返すスタッフ。
何事かが起こる度当然のようにメディアで繰り返されてきたこの質問に関するやりとりが、棘のように刺さる。意味はあるのかもしれないが、その場にいる人はいちいちそれを考え行動してはいない。考えようが考えまいが時間は進み、人は出会い、気持ちは揺れ動く。ひどく当たり前のことが観ながらなんとなく気になってくる。

『彼女は夢で踊る』は「惹かれる」ということについての映画だ。
人は何かに惹かれる。意味はあとからついてくるか、あるいは判らないままだ。なぜ惹かれるのか。なぜ、そのものを失うと胸が苦しく焦れるのか。
スポットライトを浴びて踊る踊り子たちを見て涙する観客がいる。泣くものには泣くなりの理由があるが、泣こうという目的をもって劇場に足を運んだわけではない。ただ何かやらしいものを求めて男たちはストリップ劇場にやって来ただけなのに。なぜ? と問われて誰が答えられるだろう。そして思わず涙を流し、再び、なぜ泣くのか? と問われたとしても、いったい誰に答えることができるだろう。ただただ美しく、その美しさに理由はない。人が何かに惹かれることも同じ、ただ惹かれる。どうしようもなく当たり前のことだ
この映画は「変わる」ということについての映画でもあると思う。
人だけでなく場所も、出来事も変わっていく。どれほど素晴らしい時間でも楽しい時間でも、人はその場にとどまり続けることができない。そのことにもまた理由はない。ただ時間が過ぎ去っていくなかに僕らはいるから、とでもいうしかない。

かつて中原俊や日活ロマンポルノ出身の監督たちが放った恋も性もリアルに描かれたエモーショナルな青春映画にも似た手触りがこの映画にはある。かつて自分が通り過ぎてきた青春という気恥ずかしくてシュールな時期の記憶を呼び起こし、あの頃はいちいち意味なんか考えていなかったことや、変わり続けていたことに気づいてもいなかったということを思い知らされる。

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