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『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』/不満をいう前に、まずは(映画感想文)

パーティシパントは社会性の高い問題を扱う作品を多く作っているアメリカの映画制作会社。
たとえば『グッドナイト&グッドラック』や『シリアナ』(いずれも05)等。第88回アカデミー賞で多部門にノミネートされ作品賞と脚本賞を受賞した『スポットライト世紀のスクープ』もそうだ(残念ながら09年には『ザ・コーヴ』にも関わっている、……)。
『ダーク・ウォーターズ巨大企業が恐れた男』(21)もパーティシパントの作品
社会派テーマの映画はおもしろくて好きだが、特にこれまで「お、パーティシパントやな」と意識して選択はしていない。今回もどちらかといえば「お、マーク・ラファロだ。じゃあシリアスな社会問題を扱っているのかな」と思って選んだというのが正しい。巷ではアベンジャーズのハルクとして最近は知られているようだが、僕が彼を意識したのは『フォックスキャッチャー』(14)だ。まず「子どもの頃にテレビの洋画劇場でよく観たような顔立ちの役者だな。いいぞ」と思い、「いや、そういえば最近も彼の顔に見覚えがある」と思い出したのが『ゾディアック』(07)だった。フィンチャーが驚愕の再現力で68年から74年にかけて起こった事件を映画化したとき、時代にばっちり合った“少し前の時代を生きるアメリカ人”の象徴的な顔がラファロだ。われわれの思い描く、古き良きアメリカ人の顔。『スポットライト』でも主要な役を演じている(ほぼ主役だと思っているがアカデミーでのノミネートは助演男優賞だった)。

そのラファロが善人の弁護士に扮し今回戦う相手は世界規模で4位、アメリカでも2位の規模を誇る化学産業の巨頭デュポン。
自身の祖母が住む田舎町の知り合いの知り合いである農場経営者から頼まれ、家畜の連続不審死を調べることになる。ラファロ演じる弁護士のロバートは本来は企業側の弁護を主として扱う事務所に属したばかりで、どちらかといえば筋違い。これから始まるキャリアにおいても不利な案件だが、現地に行き自身が目の当たりにした事々から巨大な訴訟事件に巻き込まれていくことになる。

こういう筋書きの映画ならたいてい結末は裁判において企業が負け、声を上げ苦闘した弱者に勝利が訪れる、・・・と思うのだが、そう簡単に物語は終わらない。事実なので多少ネタがバレてもいいだろう。実はこの訴訟、まだ続いているのだ。長い裁判によりある程度の事実は明るみになっているのだが、企業側の訴訟戦術でいまだに決着がついていない。物語もそれをそのまま提示する
いや、こういう社会派で尚且つ良作を観せられると、やっぱりアメリカという国は映画の国なんだな、と嘆息をつく。
誤解されると困るのだが「こんな映画、日本で撮れない」等と早計にいうつもりはない。撮れると思う。では何が? と問われると、それがちゃんと作品として成立しヒットする土壌があるのが素晴らしいのだ。端的にいえば、シリアスでときには政治的に偏ることもある作品をそれでも求める観客が一定層いて、メディアに情報操作されることなく受け入れられるということが、とても羨ましい。
最近でこそいくらかつっこんだドキュメンタリー作品も話題になるようになり、社会派の映画も作られるようになったが、たとえば『新聞記者』(19)が製作されたときはどうだったか。どういった勢力かは判らないが、政治的だと叩く書き込みがネットでは散見され、主人公の記者を演じた女優が韓国出身だと叩かれるのをみるのは、なんとも嫌な感じだった(日本アカデミー賞の主要部門を獲得はしている)。女優に関しては「引き受けてくれる日本人の女優がいなかった」という逸話もあり、事務所が何かしらの忖度を行った可能性も勘ぐってしまう。

映画を観終わった帰り、いっしょに観た相手とRCサクセションのアルバム「カバーズ」の話になった。リリースは88年。タイトル通り洋楽のカバー曲ばかりを収録したこのアルバムは収録曲のなかに核問題と原子力発電について書かれた歌詞の曲があったため、所属レコード会社に圧力がかかり発売が中止となった。当時のRCの所属レコード会社は東芝EMI、原子力発電を推進していた東芝から圧力がかかったのだ。
結果、発売は中止。ここからあとは頓智の利いた展開が続きあの「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告を生む。EMIの最高責任者であった石坂統括部長はのちに、「資本主義社会では大株主である東芝の進言を無視することはできない。そういう意味で自分の判断は間違ってはいないが、アーティストとしてリリースするといった清志郎も間違ってはいない」と述べている。

ここ最近の社会の不寛容ぶりの加速には本当に辟易する、と書いている自分もまた不寛容の毒素に侵されているのかもしれないが、ネットで安易にあれやこれやを中傷するのはどうなのか。
抗議するにも筋を通してちゃんと調べる、あるいは作品としてやるべきだ。昨今の非難はお気楽な罵詈雑言に過ぎず、ろくな検証もなくただ時流の流れのなかで自分の気分を述べているだけじゃないか。ワクチン接種の件ひとつとっても、誰もが是非の意見をいわなければ損だと思っているようで、実際にその件について意見を述べられるほど正しく検証し調べたものはそう多くないのでは?
意見ひとつを述べるにも覚悟はいると思う。作品の是非にしても同様。
シリアスな社会派の作品を観ると、何かをいうには覚悟がいるし、うわべだけ見て間違っていると思えたとしても調べて見るとそうではないこともあるのだと気付かされる。与党政権の決定について盲目的に反対するのも、法務大臣の死刑決定にああだこうだというのも、ちょっとは調べてみないと事実は判らない。いや、事実なんて簡単に判らないかもしれないが、これまで見聞きしていた自分にとって都合のいい情報とは異なる何かが見えてくることがあるかもしれない。本当に悪いやつが誰なのか、判らないまま非難したりなんかすると、知らぬ間に世論に誘導され悪事の片棒を担いでいるなんてことにになりかねない。
卑近な例に突然なるけど、「イオンのPBなんて安っぽいわよ」といっているあなたが選んでいるキリンのビールとトップヴァリュのビールは同じ製造元だし、ポテトチップスにしても外装はイオンだが中身は湖池屋なんですよ、・・・ということもある。え、急に話が、・・・って? まあ文句をいう前に少しは調べてみたら、ということがいいたいだけなんで。そうすると社会派の作品もよりもっと楽しめます、きっと。

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