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『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』/才能と機智でたちむかうオッサン(映画感想文)

1940年代、ハリウッドに優れた脚本家がいた。名前はダルトン・トランボ。 いくつもの映画スタジオで脚本を書き、小説も執筆。アカデミー脚色賞にもノミネートされる。43年にアメリカ共産党に入党。アメリカと戦争を強く支持する姿勢を打ち出した共産党は約8万人ともいわれる党員を擁するが、第二次世界大戦後には風向きが変わる。ハリウッドではジョン・ウェインを筆頭とする「アメリカの理想を守るための映画同盟」という組織が設立され、非米活動委員会とともに共産党員を弾圧。いわゆる「赤狩り」である。
聴聞会に召喚されたトランボは、自由を保証し尊重するアメリカでは人の思想に干渉することは許されない、という理由で彼らに抵抗し、議会侮辱の罪で禁固刑の実刑判決を仲間の脚本家たちとともに処される。刑期が終了したのちも、ジョン・ウェインや、絶大なる人気を誇る女性コラムニスト、ヘッダ・ホッパーらに汚い圧力をかけられ、トランボたちは脚本家としての仕事ができなくなる。

『トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男』(15)は、この顛末を描いている。
東西冷戦期のアメリカに吹き荒れていたマッカーシズムの理不尽な嵐は、人々の恐怖から発生したヒステリーだ。見えない敵に怯え、日常に潜み平穏な生活を崩壊させる何かを恐れているが、それには形がない。
よくいわれることだが、「ある」ことを証明することはできても「ない」を証明するのは難しい。同様に、「危険である」ことは立証できても「危険でない」ことを納得させるのは容易ではない。
トランボたちスタジオの脚本家が共産主義者だと目をつけられるようになったのは、スタジオにもたらされた利益を一部のスターだけで独占せず、そこで働く人々みんなが享受できるようにと、賃金改善のデモを起こしたからだ。
根本には、ウェインたち儲けている勝者の卑しい独占欲があり思い上がりがある。劇中、もっとも卑劣に描かれる元女優でいまは人気コラムニストのホッパーは、思想を理由に強者に力を借り自分の思惑どおりに弾圧させることで優越に浸る、もっとも許されざるものだ。
後世から歴史として見ているわれわれは、このバカ者たちが間違っていたことを知っている(のでこうして大スターたちを糾弾もできるわけだが)が、当時はどちらが正しいか判断できる証拠がなかった。厄介なのは、赤狩りに加担し人びとの心のなかまで支配しようとしていた輩もまた、自分たちは正しくアメリカを愛して正義を実践している、と思い込んでいたことだ。
こう書くと、ふと現代を生きるわれわれも我が身を振り返り少々気不味い思いにならざるを得まい。コロナ禍のマスク然り、会社内でのくだらない派閥闘争しかり、ネットで散見される貧富格差の下位層に位置するものたちの遠吠えのごとく喚く実行力なき不満然り、…いずれも個々の判断で敵対する考えのものたちを見下し「あんたは間違っている」と思うことしきりなのだから。
自分の正義というものにそれほど根拠が? …実はそれほどの根拠は「ない」にも関わらず、そして自分がそれほど大した君子ではないことも知りながらその事実から目を逸らし、それでも何かを(特に匿名性の高いネット空間においては)偉そうに利口ぶって叫ばずにはいられないものが多いのだからして。

この映画が爽快なのは、実体のない力を借り思想を狩るものたちに対するトランボの対抗手段だ。
前後したが、この映画の監督はジェイ・ローチ。脚本はジョン・マクナマラ。
ローチは『トランボ』以前には『オースティン・パワーズ』(97~)のシリーズをはじめ『ミート・ザ・ペアレンツ』(00)といったコメディ映画を撮っている。
マクナマラ? 調べてみるとテレビ業界の人らしい。15年にはあのデヴィッド・ドウカブニーと実際の事件に架空のキャラクターが交わり展開する『アクエリアス/刑事サム・ホディアック』というシリーズをNBCで制作している。だが映画の脚本はいまのところ『トランボ』以外にはない。
なぜこの脚本家の名前をここで出したかといえば、先に書いたトランボの対抗手段がいちいちスマートで気が利いているからだ。
優れた脚本家でありプロットと登場人物の科白で観客を魅了するダルトン・トランボは、実生活においても才気溢れる機智に富んだ人物として描かれている。暴力はもちろん、言葉を用いるときでさえ強圧的な暴言や物言いは絶対にしない。こう書くと突き刺さる皮肉を口にするのかと思われそうだが、それもない。ただ真理を見抜き、争いを回避し、憤る相手の戦闘意欲を無効化する会話に持ち込むのを得意としている(ように見える)。誰かを打ち負かすという発想が彼にはなく、そして他者に優劣を見ることがない。
映画の展開上何度か、いい争う場面は挿入され、その場で(相手にとって)キツい一言となる言葉を発することもあるのだが、それがなぜか観ているこちらにも刺さる。それはあたかも神の一言、…そういって大仰過ぎるなら、トランボの言葉は常に「正解」だ。
実際のトランボがそうだったのかもしれない。だが、それだけでなくこれは脚本家の力だと思う。

プロットや題材とする顛末が実際の出来事ゆえ、当時ハリウッドで起こった政治的事件の映画と思われるかもしれないが、史実としての詳細さや基礎知識はなくてもこの映画は十分に楽しめる
トランボという人物はもちろん、その周りにいる個性的な人々が大変魅力的だからだ。その交わりのエピソードはどれも素晴らしい。
なかでも僕がお気に入りなのは、窮地に立った脚本家たちを結果として救うことになる弱小B級映画スタジオのキング兄弟だ。兄で社長のフランクを演じているのはジョン・グッドマン。観てもらえば判るが、作中最も痛快な人物で、とても印象に残る。

『トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男』は思想を弾圧する者たちに対して機智と言葉の力で対抗した魅力的なオッサンと、その周りにいた個性的な仲間を描いた傑作です。

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