三島由紀夫「荒野より」

いきなり他の作家の話で申しわけない。
村上春樹氏がレイモンド・カーヴァー氏の(確か)「親密さ」という短編についてこんなことを言っていた(記憶頼りの引用である)。
「レイモンド・カーヴァーという作家は、見せるところと見せないところをきっちり分ける作家だ。作品には確かに彼のアルコール依存症を投影したような描写はあるが、ただだらだらと自身の私生活を見せるような小説は書かなかった。」
「それが、「親密さ」では破れているような気がする。」
確か村上氏は最後、「親密さ」をそれでもレイモンド・カーヴァー氏の、「氏の文学的な宣言の代わり」と言って評価していたはずだ。
筆者はそこまでは感じられなかった。
だが、確かに「親密さ」という短編にはレイモンド・カーヴァー氏の、何か「気魄」めいたものを見たようにも思う。

長々申し訳ない。三島氏の「荒野より」は、カーヴァー氏の「親密さ」と、作家の置かれた状況、創作態度などに多く共通点があり、同時に紹介すれば通りがいいと思ったのだ(私の天才的文学知識を見せびらかしたかったとも)。

「親密さ」は、レイモンド・カーヴァー(以下敬称略)が、確かガンの宣告を受けたあとの作品だったという。
何にせよ、作家の方で自身の体調の変化に気づくところがあっただろう、失礼だが、遺言めいたところが「親密さ」という短編にはあったように思う。

(記憶頼りのあらすじ)一人の男が、女のもとを訪れる。彼らはかつて「親密な」仲だったという。女は男に「また小説の材料を探しに来たの」と嫌味を言う。

最後、男は、「落ち葉が溜まっている。誰かが掃かなければいけないのだ。」―そう述懐して、話は終わる。
読者に作者の実体験と疑われても仕方がないほど、現実味の強い短編だ。

一方で「荒野より」。昭和四十一年、三島由紀夫41歳の作品だ。同年の作品には「仲間」、「英霊の声」など。

あらすじ。暴漢が、三島邸を襲う。一人の青年だ。
彼は三島由紀夫(らしき語り手)に「『本当のことを話して下さい』」「と熱に浮かされたやうに叫」ぶ。
男は警察に捕まる。しかし語り手は「憐れみ」や「人間主義的な気持」とは違う、「多少の軽蔑と親しみ」から、暴漢を「あいつ」と呼んでその後語る。

語り手は、「あいつは私の心から来た」と結論する。
もちろん、「小説家の心は広大」で、「あいつの考へるほど一色(ひといろ)ではない」。
そこには「ビル街」も、「商店街」も、「住宅地域」もある。

しかし、語り手はなお考える。語り手は「私の心の都会を取り囲んでゐる広大な荒野」について語る。
「あいつはその荒野から来たのである。」
そして三島を思わせる語り手は自らが「いつかそこを訪れたことがあり、又いつか再び、訪れねばならぬ」と語る。

「仮面の告白」で「告白小説」のパロディを行った作者らしくもない、「私小説」に近い短編。

小説を書く行為を、酒売りに喩えた下りが印象的だった。
なるほど、酒も小説も「一夜の酔をたのし」むものだ。
だが、それでは済まされない人々がいる。

私の知らぬ私は、陰気な、古ぼけた背広を着た方面委員のように、暗い軒端(のきば)々々を訪ね歩いてゐるらしいのだ。

荒野から呼ぶ声は、語り手をどこに連れていくつもりだろう。


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