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言葉の力

今年の目標の一つに一曲でも良いから作詞した曲を作ってみたいという願望がある。
そんな思いを抱いて、とある書店でふと目をむけると、目に飛びこんできた本がある。

さよならは仮のことば  谷川 俊太郎

詩集を今まであまり読んだ事がない。
だけど作詞をしてみたい、詩を紡いでみてみたいという思いからたまたま目に入り、読んでみようと思った本。
そして谷川さんの事は存じていたが、詳しくは知らず、予備知識のないままに読んでみた。

その世界感は美しくもあり、逆である物事に潜む陰りも描き、生きとし生ける人間の全ての営みを、谷川さんの豊潤な言葉と自我を切り取り、万物、八百万の全ての視点から事柄を描いている。詩が点と点を織り成していき、一つの詩を読み終える頃には、その点達が丹念に編み込まれていった線となっている。

それが時には人間だけではない、物が主人公であったり、時が主人公であったり、小石やキャベツも主人公になる。
特に小石の心情をくみ取った谷川さんの『河原の小石』が、自分は好きだ。
小石に言霊を乗せて、小石の営みの時間軸を今という視点だけではなく、永続的に、はるかに人間よりも達観した、小石の賢者にも似たような心境を描いた詩が心に残る。一種の修行を終えて、悟りの境地にまで辿り着いたかのような僧を彷彿とさせる日常の河原の小石達…。
そしてキャベツのしわしわ感を疲労と見立てて織り成す『キャベツの疲労』など日頃目にとめていて、何事も感じなければただ通りすぎていくだけの事柄が、こんなにも人の心を掴む言葉達に変貌するものなのか。

谷川さんのフィルターを通すと全ての日常が、時間が、物事が、食べ物がかくも雄弁に言霊を発するものへ変貌することに驚きを感じてしまう。

時に詩を独特のユーモラスで包み、言葉遊びを織り成してくれる。

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった

さよならは仮のことば 58ページより

「かっぱ」の詩である。
この語呂合わせが心地良い(笑)
そして韻を踏んだ遊び心のある遊び歌。子供達にも喜ばれそうな詩もよく読まれている。

そして作品を通してよく『死』を連想させるような詩も読まれている。
それは谷川さんが生まれた1931年という年代も少なからず関係してきているのではないだろうか。そう、世界は激動の時代を歩もうとしている時代。今よりももっと死というものが身近にあった時代を越え、そして恐らくご自身の年齢というものも意識されていらっしゃる部分もあるのかもしれない…。
全くの推測だが。

そして死を人間としての感情の恐怖という視点だけではなく、一つの事柄、年月の営み、一種の諸行無常という視点で描いている。死を個として捉えるのではなく、万物の、悠久の流れとしての全体の中での個の死…。

子供や男女の事、日常の事など独自の視点で、言霊を乗せ、叙情的に、感情の機微を巧みに訴え、時にはユーモラスに、時には悲哀をのせた谷川俊太郎の詩。

不思議と年齢を重ね、やがて訪れるであろう諸々の事象を前向きに、そして人生を、過ごしていき、やがてこの世界から自我が解き放たれるであろうその瞬間までの、人間としての全ての営みに温もりを、意義をもたらしてくれる。言葉の例えが悪いと百も承知であえて言うならば、良い意味で人間味があり、そして人間臭さがあるのである。本当に言葉が悪くて申し訳ない。

そんな谷川さんの心のこもった『心詩』←造語です。
すっかり魅了されてしまった。
かくも心に響くものなのか。
ありがとう。
詩の世界。

記事を読んで頂き誠にありがとうございます!






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