ごめんを言いすぎる人

最近周りでそんなにいないけれど、謝ることが癖のようになってしまっている人っている。

謝罪というのは、私の言動によってあなたに不快な思いをさせてしまったかもしれない、もしそうだったらこれによってその罪を許してほしいという意思の表示手段。
しかし時に、明らかに不快な思いをしている人がいない場面でも謝罪する人がいる。そんな時は一応「問題ないよ」と返すのだけれど、正しくは「最初からあなたが原因で起きた問題などどこにもないよ」、あるいは「そんな思ってるほど簡単にあなたの外の世界はあなたから影響を受けないよ」である。極端な例を出すならば、「私が呼吸をすることでこの部屋の二酸化炭素を増やしてしまってごめんなさい」と言うようなものだ。

もう一つ、過多な謝罪に対する違和感の原因が別にある。
それは彼らが謝罪の際に明らかに「問題ないよ」が返ってくることを見込んでいる、あるいはほとんど確信しているようにすら思えることだ。
許しがもらえることを完全に見込んだ謝罪は、まわりからそんなことないよと否定されることを前提とした自虐と似ている。私はこれを見込み謝罪と呼びたい。ちなみに自虐は見込み自虐。女子同士の会話に多く見られる。なんとも疎ましい。

自動的にごめんを言う人は、その場面で適切なのは、自分のせいだから謝罪なのか、誰が悪いわけでもないから受け流しなのか、あるいはもしかしたら感謝なのか、言いそうになる時に少しだけ判断するくせをつけてみると、周りからごめんとかすみません言い過ぎ、と指摘されることも少なくなるかもしれない。