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免除結果

いつものように朝8時半から16時までバイトをして帰ってくると、郵便受けに大学からの書類が届いていた。薄ピンクで細長い封筒。この時期にこの封筒ということは、中身は見るまでもなく授業料に関することだ。慌ただしく部屋の鍵を開け、年中薄暗いワンルームに荷物を放り、汗臭いワイシャツを脱ぐ前に、中身を破かないように慎重に封を切る。愛想のない文体と余分な空白が示していたのは、要するに「オメーの授業料は3分の1だけ免除だよ」ということだった。
「くそ、半分じゃないのか」
その文面を見て、思わず悪態を吐く。うちの大学は国立のくせにやたらと学費が高い。頭の中で簡単に計算をすると、3分の1免除で21万円だった。授業料のためにしていた貯金は15万円しかない。
最初に院に入学したとき、必死になって集めた書類とできるだけ可哀想に思われる作文で出した申請は、入学金と前期授業料の半額免除だった。それを見たときは心底「助かった」と思ったものだが、しかし、それでも俺はコロナで収入が減ったということをわざわざ通帳を何ページもコピーして証明して、県から臨時貸付金20万円を借りなければならなかったのだ。なのに今回は三分の一免除とは、これでは生活ができるかわからない。
そもそも、学生課のメールがわかりにくい上に、学部の時の大学とはシステムやら時期やらが全く違っていたのもあって、去年の後期分の授業料免除申請を俺は出せなかった。そのおかげで俺は実家の親父に頼み込んで五万円を振り込んでもらう羽目になったのだ。当然、お金は返さなければならず、俺は更にシフトを増やしてもらわなければならなかった。
週五日。朝8時半から16時までの本屋でのアルバイト。余裕があるときはかの有名なパン工場で夜勤に入っている。それ以外の時間は当然院の課題をこなさなければならないので、これ以上シフトを増やすのはもう難しかった。
なので今回こそはと思い、わざわざ取りたくもない連絡を親と取り合って書類を書かせ、貴重な休日を惜しみながら書類を集め、何度も役所と大学を往復しながら申請を出したのだ。その結果がこれとは、これ以上どうしろと言うのだろう。
私は荒々しく制服を脱いで、洗濯籠に思い切り投げ入れた。白いワイシャツは袖口と襟口が黄色く変色している。買い替える金は今はない。あんまり目立つようなら上からカーディガンを羽織ろう。去年、内地の寒さに慣れてない俺が耐えかねて買ったカーディガンだ。今の時期はクソ熱いが仕方がない。いつの間にか、洗濯籠は服と下着でいっぱいになっている。つい昨日洗ったばかりだと思っていたはずなのに、もうこんなになったのか。見ると、やたらと狭いキッチンにも汚れた食器が溜まっている。一昨日何を食べたか俺は思い出せない。毎日バイトをしていると、時間がスキップされたような感覚になる。こんなにも1日は短いのに、生活はいつまでも続く。
月1700円でレンタルしている洗濯機に洗濯物を入れ柔軟剤と洗剤が一緒になった液体を適当に入れて回す。もう四年は使っているスウェットに着替えてベッドに倒れこみ、スマホでバイトのグループラインにメッセージを入れておく。
『お疲れ様です。月曜日と金曜日もシフトに入れます!朝でも夜でも大丈夫なので用事がある方や忙しい方はいつでもご連絡ください!』
既読や反応を確かめる前に、スマホを消す。今日も進めなければならない作業がいくつかある。だが襲いくる眠気に耐えれず、目を瞑って今後の段取りを考えているうちに俺は眠った。こうして、時間はいつも無くなっていく。

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