自分のことがよくわからなくて困っていた。
あるキーワードを耳にして、
自分の過去を保管している倉庫の鍵が
「ガチャリ」と開くような。
先日、行きつけの美容室での会話から、そんな体験をした。
ご夫婦で経営されている美容室で、
いつも希望に応じた似合わせカットをスピーディーにしてくれるので、通い続けて8年になる。
こちらのご夫婦には、今年高校生になった娘さんがいて、中学校に登校できない日もあったことを以前聞いていた。
学校にいると疲れるので、短時間で帰ってくることもあったという。
現在は通信制の高校に楽しく通えているとのこと。良かった…
カットの最中、ぼんやりと思い出していた。
中学時代、生徒会や塾のない日は、帰宅後から夕飯までの間、一眠りしないと身体が持たなかったことを。
母からは、「あんたは体力も覇気もない」と呆れられていた。パートで疲れて帰ってきているのに、何も手伝わない娘に多少イラついてもいただろう。
学校という大勢の人がいる場所で、自分がどう見られているかを考えすぎたり、人の気持ちを感じ取りすぎ(あるいは想像しすぎ)ていたことによる疲弊だった気がしている。
これはきっと、思春期には避けては通れなかった自意識「過剰」によるものだったよなぁ。
私の顔についた短い毛をドライヤーで吹き飛ばしながら、ご主人が娘さんのことを、
「あの子のことは、全然わからない。宇宙人ですよ」と言った。
娘さんにすっかり感情移入していた私まで、一瞬、宇宙空間に吹き飛ばされかけた。笑
そしてふと、小学校時代、同級生に「あんた宇宙人か」と言われたことを思い出した。
「宇宙人」って、理解しがたいという意味のキーワードだと思うのだが、そうそう。自分でも自分のことが、わからなかった。
小学校低学年のとき、よくお腹が痛くなり、保健室のベッドで休ませてもらえるのが、幸せだった。
四方をカーテンで囲われ、誰からも見られずに、何もしなくても怒られず、守られている、という安堵感。あのカーテンレールと蛍光灯のついた天井を見上げながら、消毒薬のにおいや、家とは違うあの白い布団カバーとシーツの感触を味わっていた。タイツを履いていたときは脱ぎたかった、あの不快さもリアルに思い出せる。
そのくせ、学芸会などでは主役を狙う目立ちたがり屋だった。
学校は人に会えて喋れるのが楽しいとも思っていたし、行事では率先して行動することも多かった。
クラスの女子たちとも、まんべんなく喋るんだけど、誰かとずっとべったり一緒にはいられなくて、結局どのグループにも落ち着かず、1人行動多めだった中学時代。
高校でも特定の仲良しができなくて、なんとなく誰かと一緒にはいるんだけど、素の自分ではいられなくて、疲れていた。
親友ができないのはなぜ?と母からは心配された。
どこにも属せず、理解者がいないどころか、自分でも自分のことがわからないし、そんな自分が「イタイ」と思っていた。
明るいんだか、暗いんだか、
1人でいたいんだか、誰かといたいんだか、
ドライなんだか、ウェットなんだか。
わからないから、自分のことを変人呼ばわりするのがラクだった。
だけど今はもう、自分を変人扱いしていないような気がする。
これは、きっと、noteの存在が大きいと思う。
自分の経験や感情、表現したいことを思い切って外に出し、それを拒絶されない世界を知ったことで、自分のことを受け入れていけるようになったんだろう。
そうして、40代になって、やっと自意識「適量」にできるようになってきたような。
今日は家庭訪問があり、朝からの大掃除と、無事にお話を終えた安堵感から、夕飯までの間、昼寝をした。驚くほど行動は変わってない…!笑
スキとコメントが何よりの励みです!