見出し画像

これ以上疲弊しないで、学校。

長男(小3)の担任のA先生が、1学期より体調不良で休職中だ。
もう5ヶ月になる。

真面目な女性の先生で、ご自身にも小学生のお子さんがいると聞いている。
1日も早く回復して欲しいけど、せっかくの機会だからゆっくりもしてほしい。

6年生の担任の先生もお一人、体調不良でしばらくお休みされていたようだ。今は復帰されているようだが、無理しないでほしい。

我が子の通う小学校で、登校していない児童は全校で11人ほどいると聞いている。1学年に2クラスずつなので、クラスにだいたい1人いる計算だ。

現在、長男のクラスに、代理で来てくれているのは、若干23歳のB先生だ。ラガーマン風な雰囲気で、息子は「面白くて好き」と言うので、ホッとしている。
1学期の個人懇談が中止になってしまったまま、まだゆっくりお話ししたことはない。

先週、来年小学生になる次男の就学前検診なるものがあった。

お知らせの一部。

揚げ足取りみたいになってしまうのだけど、「正しいものの見方」というキーワードにやたら過敏に反応してしまう。

現在、次男ときたら、こども園の生活について
「やることが決まっているのがイヤ」
「座り方まで決められたくない」と
喚き、休むために具合悪いとアピールし、体温を自力で37.6℃まで上げるのが毎朝の日課だ。

休ませてあげたい仏心と、行ったら楽しんでるくせに・ただサボりたいだけやろというツッコミと、こんなんでこの子は今後どうなるのという焦りと、行ってくれなきゃ私がしんどいという本音が脳内をグルグルと駆け巡り、ここのところ私は、毎朝とても機嫌が悪くなっている。たいてい年少の長女もつられてぐずり出す。

一方で、食いしん坊で、癇癪もちで、やりたいことにはまっしぐらな本能むき出しの次男が可愛くてたまらず、彼の柔らかな感受性が、「正しいものの見方」という横暴な概念で蓋をされてしまわないだろうかと、不安でたまらない。

一体誰が正しいものの見方を知っているというんだろう。
その前に尊重という字があるから、まずは子どもの気持ちを尊重してくれるんだよね…?

自分ができていないのを棚に上げて、ブツブツ…

就学前検診で、全ての検査が終わり、ママ友と立ち話していたところ、長男の担任のB先生が、次男に声をかけてくれていた。

「あっ、先生。お世話になってます」
私は慌ててあいさつし、A先生の休職、B先生の赴任という混沌とした状況下でも、子どもたちが不安になることなく、楽しく過ごせていることに、お礼を述べた。

B先生は、
「いえ!こちらこそいつもタロウ君(仮名)には、教わることばかりで!」

というので、

「ヤダ先生、そんな模範解答みたいな言い方やめてくださいよ。笑」と言ってみたが、同じことを言うのだった。

フランクに話したいのにと思いながら、先生たちは保護者に対しては、過敏になっているんだろうなという気がした。

というのも、今年の春、休職前のA先生に、長男のお友達とのかかわりのことで、放課後に相談に行ったとき。
ただ、ご相談したいと連絡しただけなのに、着くなり校長室に通されそうになったのだ。

「え?!私はA先生にご相談したいだけで、校長室じゃなくて全然いいんですが…」
と言ったときのA先生のホッとした表情を思い出す。

また、A先生が休職される直前。
長男の学年が社会科見学へ出かけたのだが、帰りのバスの到着が遅れた。

学校の連絡網アプリで連絡があったし、帰宅後は無事に帰ってこれてよかった~運転士さん、先生たちありがとう!としか思っていなかったのに、その晩、到着遅れに対する丁寧な長いお詫び文書が学校からアプリに届いていた。

あまりに堅いお詫び文だったので、
「ちゃんと帰ってきたんだから、お詫びとかいらないよね。誰かが文句言ったのかな。だったらやだね」とママ友とLINEした。

そしてその翌週から、A先生はお休みに入られたのだった。

何が原因かなんて、わからないし、特定しちゃいけないのかもしれない。
だけど私は、文句を言った保護者がいて、それが最後の引き金になってしまったんじゃないかと思っている。

ここ数日、小学校の先生と保護者の視点を持つお二人の記事を読んだ。

先生と保護者両方の目線で書かれた、先生たちへの思い、子どもとの関わりについてのお話が、今の自分にとても響いた。弾かれたようにこの記事を書いている。

学校は、ただただ、子どもの成長をともに見守ってくれるだけで、充分だ。

これ以上疲弊しないで、先生も子どもたちも。
一保護者として、願わずにいられない。

スキとコメントが何よりの励みです!