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未経験のことは、本当にわからない。

ここのところ、子育てに関することばかり書く日が続いていた。
その反動なのか、自分に子どもがいなかった頃のことを思い出したので、書いてみたい。

25歳のとき、学生時代の友人とその妹さんとランチに行くことになった。
妹さんは、当時22歳くらいで、2歳のやんちゃな男の子のママだった。

その坊やとは、家で一緒に遊んだことがあったし、私は小さい子どもと遊ぶのが大好きだったので、なんの憂いもなくランチタイムをともにしたのだが、食事後、「解散!」と言いたくなるほど、ぐったり疲れることとなった。

思えば、人生初の「幼児と外食をする」という体験だった。

また、よりによって、友人お気に入りの鉄板プレートのハンバーグのお店に行ったもんだから、ハードルが高かった。
2歳の坊やが鉄板を触らないようにしたり、こぼさないようにコップをどけたりするのがとても大変そうで、「ドタバタ」を絵にかいたような光景だった。

対面にいる私は何をどう手伝えばよいのかわからず、気ばかり急いてしまった記憶がある。

こんな大変なの?子どもと一緒に外でご飯食べるって・・・
母親になるって全然イメージできない・・・

子ども好きと豪語しながら、そんなドライな感想を持った自分にも軽くショックを受けた。

月日は流れ、自分のおなかに第一子がいる頃、
夫の弟家族と、東京の秋葉原でランチをしたことがあった。
弟夫婦には、当時、3歳の女の子と1歳の男の子がいた。

にぎやかな食事中、坊やがオムツにう〇ちをしたらしく、
「あっ、う〇ちしたかも!ちょっと替えてきます」と義妹に言われたときは、本当にびっくりした。食事中、う〇ちとか言っちゃうのか!!ということに加え、

「うそ…子どもって、食事中にう〇ちとかしちゃうの?食事中にオムツ替えなきゃいけないとか食欲失せるだろうなぁ、かわいそうだ…罰ゲームみたい」と思った。

今思えば、子どもが生まれたら、食事中や、(新生児などは特に)就寝中のう〇ちは全然あるあるなわけで、当時「げっ」と拒否感を持った申し訳なさとともに、なにも知らなかった自分を懐かしく感じる。
(そして我が子のう〇ちを見ているうちに、食欲は失せなくなってくる順応性のすごさ)

そのとき、義弟家族と食事をした店が、閉店するというニュースをたまたま数日前、目にした。

あの時、お店を選んだのは私だったが、トイレには、ちゃんとおむつ替えのスペースがあったんだろうか。
そんな視点も、子を産むまでは全く知らなかった。

「経験のないこと」というのは、とてもハードルの高いことだ。

だけど、経験がない人とある人が、その経験を共有することは、とても意義のあることのような気がしている。
互いへの関心、思いやりがないと、その場が成り立たないし、次につながらない。

逆に経験のある人同士のほうが、ギスギスすることもあるくらいだ。
なまじ経験しているせいで、それがすべてのように思ってしまうこともあり、その思い込みが周りを傷つけたり、逆にびっくりしてしまうことだってある。

万世橋の名物ビルで一緒に食事をした、当時3歳と1歳だった義理の姪っ子と甥っ子は、13歳と11歳になり、もう私の背丈を超えてしまっていた。ヨーロッパ滞在や中学受験など、私にとっては未知のことを数えきれないほど経験している。色々教えてほしいと思う。

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