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神の子であるはずの私たちが、天国ではなく、この世界に居るのはどういうことなのでしょう?


じつは私たちは神の愛をとても恐れている

なぜ、神の子であるはずの私たちはわが家の天国ではなく、この世界に居るのでしょう?

というなら、その答えは、じつのところ、私たちは自らが天国を拒んでいるからだということです。

そう、私たちは神を愛しているどころか、じつは、神を、神の愛を、とても恐れているのだということです。

だからこそ、私たちはこの世界に居るのだということです。

それはとうてい信じ難いことかもしれませんが、それが真実です。

この世界にいる私たち誰もが、そうなのです。

私たちは神の愛を恐れて、この世界に逃げ込んできているだけなのです。

ただし、その真実は、私たちの無意識の奥底に自覚されないまま隠された状態になっています。

私たち誰もの内側に、神に対するその恐れがあるということです。

そして、私たちはその恐れを外側の世界にいろいろな形で投影しているのです。

人間関係の問題として、将来への不安として、仕事、健康の問題として、それらに投影して、私たちは恐れを経験しているということです。

そのすべてが、じつは、神の愛への恐れをただ外側の世界に投影しているだけなのです。

じつのところ、私たちはこの世界の中でそういうことをしているだけであって、そしてそれを「人生」と呼んでいるのです。

本来の私たちは神の子であるにもかかわらず、私たちは神の愛を恐れて、それゆえにここ(この世界)にいるのだということです。

「この世界に居る」ということが、つまりはそういうことなわけです。

逆の言い方をすれば、神の愛を恐れていないならば、私たちは今この瞬間にも神のもとへと帰ることだってできるということです。

にもかかわらず、私たちは天国に帰ることよりも、この世界のほうを価値あるものとしているわけでです。

そして、そういったことのすべてが、ふだんの私たちには自覚/認識できないようになっています。

その真実は、私たちの無意識に隠されたままになっています。

そう、それは自覚/認識されていないからこそ、問題なわけです。

ですから、それを自覚/認識していくことが、コースの学習者である私たちに求められているのです。

というのも、その問題が自覚/認識されずに、どうやってその訂正がなされるというのでしょう。

神の愛を恐れたままで、どうやって神のもとに帰れるというのでしょう。

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の学びが深まっていくにつれて、そのことがますます明らかになっていきます。

だからこそ、私たちは自分の内側に正直になっていかなければならないわけです。

内側に隠されているものを明らかにしていくことが求められているのです。

そう、それが、「聖霊と共に自我を直視する」という実践なのだということです。


真理に対する抵抗、真理に対する防衛

上記に述べたように、私たちは表層意識においてはこの世界の幻想から目覚めていくことを目指してコースを学んでいるわけですが、片や、無意識においては目覚めることをひどく恐れている、という葛藤状態にあるということです。

その自己矛盾を「狂気」と呼ばずして何と呼ぶのでしょう!

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