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覚者は「幸せ」についてどのようにみているのでしょう?

幸せとは「苦しみの不在」「苦しみの欠如」である

覚者たる者、あるいは、目覚めゆく者には、「私」という感覚がないか、そういう感覚がほとんどないと言うことができます。

そして、彼らの特徴は、苦しみがない、ということだといえます。

もし仮に「苦しみ」があったとして、それを経験している「私」というものがないならば、そこに「苦しみ」はあり得るのでしょうか。

つまり、彼らにとっては「私」もいなければ、「苦しみ」という概念もないわけです。

それだけではありません。

「苦しみ」という概念がなければ、その対極の「幸せ」という概念も、当然、彼らにはないということです。

それが意味するのは、「苦しみ」という概念があるからこそ、「幸せ」というものが分かるということです。

彼らは、「幸せ」という概念すらないことを知っているだけでなく、「真の幸せ」というものは概念を超えたものだということを知っているのです。

なので、彼らは、「幸せ」のことをどのような言い方をするのか?

というと、

苦しみの不在」「苦しみの欠如

というふうに言うわけです。

なぜ彼らは「幸せ」というものをそのように表現するのか?

あなたが目覚めていくとき、その言葉の深遠さとその意味を理解するようになるといえるでしょう。

そう、覚者や目覚めゆく者たちは、「幸せ」というものについてそのように見ているということを知っておくと良いでしょう。


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