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助産師経験談 vol.3

あの子(赤ちゃん)はこの日に生まれるのか
と当たるのが不思議でもあり
でも、不思議となんの疑いもなく
ある意味、納得してたかもしれません。
ワカカリシコロは。
今はもう普通すぎ、な(笑)


続きです、今日もありがとう。


おそらく今では高齢出産が増えたのもあり
ほとんどのケースで
初期から超音波検査や
NIPT(新型出生前診断)など行い
赤ちゃんに何かしらの
リスクの有無を先に調べる話となり
リスクがあると中絶の選択もある事を
説明されることが多いかと思います。

わたしが助産師になった頃は
そんな流れではなかったなぁと思います。
高齢初産の方の方がレアでした。
今では差別用語にもなるマルコウとか言って
カルテにもハイリスクとして印されてました。

やばいなぁ...時代がバレる(冷汗、笑)

それが良いとか悪いとかではなく
世の中の流れだったって感じです。

Bさんの赤ちゃんは
大きな見た目の奇形だけではなく
心臓などにも奇形があったので
生きて生まれてきても
数日後にはあちらの世界に旅立つ事は
Bさんも、私たちもわかってはいました。
Bさんはもう二度と妊娠は
できないほどの疾患があるので
胎動を感じることももうない。
なので、赤ちゃんの耐えうる限り
妊娠継続を自分の身体より優先したという
経緯もありました。

そして心拍が聞き取れなくなり
超音波でも確認した後
お産に向けて動き始め
数日経ち、わたしが分娩係の日勤勤務日
出勤すると、Bさんは
プライマリーの先輩助産師が付いて
陣痛は促進しながら
既に分娩室で叫んでました。

わたしは、もうすぐ
「生まれる」と思って
赤ちゃんの「誕生」だと
なんの疑いも持たずに、
先輩のサポートに入りました。

どんな赤ちゃんでも
お母さんの子宮からの旅立ちです。
お母さんから離れて生まれるので
「誕生」だと思っています、今でも。

そして見た目関係なく
全ての赤ちゃんは
美しく可愛く愛おしく
そして何より尊い。

Bさんの赤ちゃんは
単眼でお鼻も長く耳は小さく
外性器も奇形がありましたが
口元はほんのり微笑んでいました。
口元がBさんそっくりで
おしとやかな感じでした。
わたしはBさんの汗を拭いたり
プライマリーの先輩がしてほしいことを
周りで動くサポートで
赤ちゃんの身長や体重を
測ったりする役目でした。


Bさんにとっては
いわゆる死産になりますが
Bさんにとっても
赤ちゃんにとっても
とてもとても頑張った賜物のお産。

かわいいねー
頑張ったねー
もうすぐお母さんとこ行こうね〜
おめでとうだね〜
もう可愛くて可愛くて
いっぱい話しかけながら計測していました。

ニコニコしながら話しかけてたら
めちゃくちゃほかの先輩に
怒られました。
先輩の中にはBさんの赤ちゃんを
汚いモノを見たかのような
ギョッとする先輩もいました。
その度にわたしは怒りに似た
違和感を感じていましたが、

それは置いといて

わたしの事を
不謹慎だと
何を考えているんだと
デリカシーがないと
それはそれは烈火のごとく
怒られました。


パワハラの材料追加された感じ(?)


今でも意味がわかりません。

その当時はなんで怒られるんだ?と
疑問だけが残り
誰に聞いても
「こいつやっぱバカだわ」
というレッテルを貼られるだけで
誰も答えようともしてくれませんでした。


死産したお母さんのメンタルサポート
グリーフケアと言われるケアが
まだ光を当てられてなかった時代
とも言えます。

グリーフケアが大事だとか
大事じゃないとかではなく、
死産という事実に対して
こういう風にサポートしたら
より良いのではないか
という明確な指針みたいなが
医療に組み込まれてなかったので
指標がなかったために
経験的にどうとか道徳的にどうとか
倫理的にどうとかという事が
Caregiver(医療者)の個別の関わりに委ねられてた
そんな時代だったって感じかな。

なのでわたしの中での
「生まれてくる命は
全て平等に美しいという感覚」は
異端だった、という事ですぅ

Bさんはもうすぐ生まれるって時に
「ごめんねーーー
ごめんねーーーー
ちゃんと産んであげられなくて
ごめんねーーーー」って
陣痛のたびに
何度も何度も泣き叫んでいました。
今でもあの声は鮮明に耳に響きます。
だって愛だったから。

わたしはその声の周波数に
共鳴して、泣きそうになりました。

母親の愛に触れた。深い愛。

そして、わたし一人だけ
Bさんの耳元で
囁くように
おめでとう
と言いましたが、
Bさんはびっくりしてたし
ドクターにも
速攻で睨まれました。

たぶんおめでとうという言葉を
かけてはいけないという風潮だったんだろうな

ドクターもプライマリーの先輩も
生まれる時に
「出るよ」と言いました。
わたしは「あぁん??(怒)」と
心の中で思った記憶がこれまた
鮮明に残ってます(笑)

そして生まれた瞬間無言で
Bさんの叫び声がこだましていて
しばらくしてからも
お疲れ様としか言わなかったのが

違和感でしかなかったんですよね。

はい、いつもの反省会で
こっぴどく怒られまして
なんならBさんに謝れと言わんばかりで
帰宅が遅くなったのは
ご想像通りですぅぅぅ

赤ちゃんの体重を測ってきますねと言って
分娩室を後にしました。
その後はプライマリーの先輩だけが
Bさんに関わることになったのと
その当時は病棟を産科病棟から
婦人科病棟とか他病棟へ
移動する配慮をしていたので
わたしは退院前日まで会えませんでした。


退院前日Bさんの病室に
行ってきてとプライマリーに言われたので
訪室しました。そこでBさんは

「わたしのために
いっぱい怒られてたでしょ?」
って申し訳なさそうに話し始め、

「お産のとき誰もおめでとうと
言ってくれてなかったら
わたしはあの子にありがとうが
言えなかったかもしれない。
ずっとずっっとずーーーっと
ごめんねばっかりだったから。
あなたが怒られてるのも聞こえてたけど
今になって、おめでとうって
言ってもらえて本当に本当に
救われたと思っています、
ありがとうございました。」

って、泣いて言ってくれました。

わたしは、もう言葉が出てこなくて
「こちらこそ、ありがとうございました」
としか言えませんでした。

若かったなぁ
未熟ってこういう事言うんだね〜
今ならもう少し
何か言えるけど...

遠い目しちゃう(苦笑)

この後もわたしの中ではお産だけど
世の中では「死産」とか
「中期中絶」とか「流産」とか
にも相当数関わることになりました。
が、わたしは
それからもずっと、

おめでとう。

と静かに伝えます。

赤ちゃんには

いらっしゃい。
生まれてきてくれてありがとう。

と綺麗にしながら伝えます。

わたしの目には
生まれてきた赤ちゃんは
みんな可愛く美しく輝いていて
微笑んでいるようにしか
映りません。


目を通してくれて
寄ってくださって
ありがとう。

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