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マルチリンガル視点 - 通訳ってどうやってなったの?

英語・イタリア語・スペイン語3ヵ国語通訳をしているマルチリンガル通訳者(男)です。

昨日は社会福祉系の翻訳依頼があり作業してました。中々興味深い分野です。

さてこれもよくある質問の一つなのですが
「どうやって通訳になるの?なったの?」

これについて僕の経験を通して話してみたいと思います。

僕は元々ある会社に海外営業兼通訳で8年ほど働いていたことがあります。入社時は通訳としてではなく海外営業としてキャリアをスタートしました。イタリア留学から帰ってきて初就職です。
入社してすぐイタリア出張に連れてってもらえました。会社の製品詳細もろくにわかってないのに自社製品を売るプロモーションとちょっとした通訳のためです。製品知識も業界もよくわかってないのに人に物を売るわけですからムリゲーなわけです。しかし同行した上司は結構破天荒な性格でとにかく攻めろ!的な悪く言うと何も考えてない的な人でした笑 

そんな上司だったのが逆に良かったんです。
営業もダメ通訳任務も大失敗でおもくそ怒られました。
そりゃそうだろうよと。。
この会社無理かもと萎えてたのですが、なんでかその後も度々イタリア出張に連れていってくれたのです。簡単な話イタリア語話せる人材が僕しかいなかったんですよね。
その当時イタリア語わかる人日本でも少なかったので辞められたら困るというのもあったのでしょう。英語でなく比較的マイナー言語のイタリア語というのが良かったのだと思います。
まあとにかく失敗、失敗の連続でした。
「通訳向いてないのかなあ」と迷いが出るときもあったのですが、でも少しずつ手応えというのか通訳らしいことをしてる瞬間が増えていったんです。まあでも失敗の連続でした今振り返っても。でも失敗を許される環境が本当に幸運でした。とにかく未熟なのに現場をたくさん与えてくれてビジネス分野でのイタリア語が上達していきました。

それから翌年、会社がスペインに本格進出する計画があることを知り、独学でスペイン語を勉強し始めました。イタリア語とスペイン語は似てるので抵抗はありませんでした。
やる気を見せるって必要ですね。不思議と道を導いてくれるものです。
そのやる気を買われ行ったこともないスペインへ送り出してくれたのです。スペイン語まともに話せないのにですよ。
最初の2年は本当に大変でしたが必ずスペイン語でお客さんとやり取りすると心に決めてお客さんにスペイン語オンリーで話してもらうようお願いをしました。お客さんに相当迷惑かけたと思います。スペインでは仕事の環境的に最高に恵まれてイタリア人、スペイン人、イギリス人、フランス人のお客さんと知り合うことが多くなりました。未熟ではありましたが必死にそして楽しく仕事をしていく中でスペイン語も2年目から流暢になり苦にならなくなりました。いろんなトラブルがあるたびに通訳の現場がセッティングされ社長とスペイン人のお客さんの間に入り契約交渉や金銭的なトラブル解決。まあ問題は尽きなかった。。でもそのトラブルがあったから成長できました。
今にして思えばスペイン語まともに話せないのに現地で仕事をする機会を与えてくださった会社に感謝しています。

僕が就職した会社はとても小さかったですが、その会社にライバルがいなかったこと。未熟な私にたくさんの機会を与えてくださったこと。
会社がヨーロッパ進出するタイミングが最高だったこと。
運の良さしかありません。実力ゼロでしたし。
でも努力と情熱で引き寄せたという確信もあります。

要約すると、通訳になれたきっかけは↓

「言語の選択が良かった」
「選んだ会社がよかった」
「運と情熱があった」

と、まあこんなものです。

なんの参考にもならなかったと思います。
人生って不思議ですよね。

人生なんでもそうだと思いますが、縁や使命があります。僕は大学の時から通訳になると決意していました。これに尽きます。

大企業に行けばなんでもやりたいことできるのかといったら人材がいるから中々やらせてもらえないなんて話を聞きますし、ホリエモンこと堀江貴文さんも「大企業は優秀な人材を飼い殺す」と言ってます。経験も積みたいならあえて小さい会社を選んで挑戦する方が良い時があります。僕をスペインに送ってくれた会社のように。

余談ですが、ヨーロッパに住んでた時は衣食住会社持ちでした。レンタカーもありましたし、年に6回くらい日本と行き来していたので、青色航空会社の上級会員にも自動的になれてお陰様で今も飛行機ライフは快適です。

次回は通訳っていくらもらえるの?
気になる金銭事情について書いてみようと思います。

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