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うつ病患者さんに教えられたこと

ようやくまとまった私なりの『旅の定義』。
その想いが一体どこからきたのか?
それは遡ること14年半前、2007年のことなのです。

その年、私は乳がんを発症しました

「若年性乳がん」とまで若くはありませんでしたが、まだまだ遊びも仕事も現役バリバリで、それはそれは毎日を忙しく、楽しく過ごしていました。

その時の状況を話しだすと、果てしなく終わらないストーリーなので、それはまたいつの日か(笑)。

紆余曲折を経て、手術が決まり入院したのが7月の暑い盛り。
その年は本当に暑くて、ミンミン蝉がやたら鳴き続けていたのを思い出します。

スキー選手をやっていた若い頃に、膝の靭帯を怪我して、手術した経験があり、入院というものをしたことはありました。
が、命に関わる大きな病気は初めてだったので、心身ともにかなり緊張していた記憶があります。

入院手続きをして病棟へ行き、まずはナースステーションへ。

看護師さんから色々と説明を受けた時に、一瞬「えっ?」と戸惑ったことがありました。

「四人床なんですが、残りの3名は精神科の患者さんなんです。色々と気を遣うかも知れませんが…(無言)」。

確か当時「個人情報保護法うんぬん」が、施行されて間もなかったころでしょうか。
何階に何の病棟があって、とかを公表しなくなったそうです。

それと世間的にはまだ「乳腺外科」というのがあまり認知されていなくて、「乳がんは婦人科で」という括りだった記憶があります。

その病院も私の主治医となった先生(その道では有名な方)がやってきて、「乳腺外科」ができたばかりと言っていました。

そんなこんなで、おそらく(これは私の勝手な推測)一つの診療科でフロアを独占できなかったんでしょうね。

とにもかくにも、4人のうち私ひとりが外科の患者となったのです。

病室は廊下の突き当たりにあって、うなぎの寝床のような部屋でした。
入り口に近い一番手前に私、その奥に3人の方が並んでいる感じです。

カーテン越しの会話

お引越しというわけではないので、わざわざご挨拶をするという訳ではありませんが、一応、寝泊まりを一緒にするので、なんとなくご挨拶を…と思い、部屋に入ると声をかけてみました。

「こんにちは〜
今日から入院した◯◯です。
明後日、手術があるので何かとバタバタしているかも知れませんが、よろしくお願いします」

と、当たり障りのない普通のご挨拶。

すると奥の方から「こちらこそ」「はい」などと、ボソボソっとしたお返事が返ってきました。

大きな手術の前となると、術前検査や麻酔科の先生との話など、何かと忙しいものです。
手術のことだけじゃなく、これからやってくるだろう私の身体と心の変化へ向けて、いろんなことを考えたりリサーチしたりもしていて、あっという間に時間が過ぎて行きました。

そして、そのまま病室の方とはお会いすることもなく、手術当日に。

午後からの手術だったので、朝イチで点滴を始めベッドに横になりながら、迎える恐怖と闘っていました。

するとお隣の方が声をかけてきてくれたのです。

「これから大きな手術なんですよね、大変ですね、私には手術がないのでよくわかりませんが、がんばってくださいね」と。

そうしたら、もっと奥の方々も「待ってますから、がんばってください」とか「大変ですよね、負けないで」とか。

その後、しばらくカーテン越しに会話が続きました。

心を壊してしまい鬱状態になってしまったこと
入退院を繰り返してしまっていること
外に出ること、人と会うことが怖いこと
一日10分でも外に出て散歩することがリハビリだということetc.

それまでの私の人生の中で、うつ病の患者さんと接することがなかったので、とにかく驚くことばかりでした。

中でも外に出ることがリハビリということが驚愕的でした。

外に出たくてたまらない私は、看護師さんに見つからないように、腕輪(入院すると手首に付けられる名前が書かれた輪っか)を隠して、外にあるスタバにコーヒーを買いに行っていたくらいですから。

その後手術を受けた私は、2晩ほど回復室で過ごしました。

(この時のとんでもない痛みとの闘いや、歩くことの大切さを強く感じたことはまた後日として)

私とは全く真逆の闘いがあるんだ

3日目の朝。
自分の病室に戻ることになり、痛みで斜めにひん曲がった身体で、ヨロヨロと戻っていきました。

すると病室の方々が「おかえりなさい」「大変でしたね」と、再びカーテン越しに励ましの言葉をかけてくださったのです。

それからの私は次に待ち受ける抗がん剤の治療のことや、再手術(一回でガンを取りきれず)のことで、心も身体もいっぱいいっぱいになり、自分以外のことを考える余裕がなくなってしまいました。

しかし、ふと気づくと、皆さんはいつもベッドの上で過ごしていて、病室から出るのはトイレとかのちょっとした用事だけみたいなんですよね。

診察にはいつも先生が病室にきて、しばらく話をするだけなんです。

その内容に耳を澄ませていると。

「今日は出かけれませんでした」とか、
「いつもより5分多く散歩できました」とか、
身体を動かすこと、外へ出ること、人と会うことと必死に闘っている様子が伝わってくるのです。

かくいう私は、絶対病気には負けない!
と気持ちを強く持って、とにかく次の治療のために身体を動かすこと、機能を回復させることに全力を注いでいました。

願うはただひとつ!

私は絶対死なない!
必ずまた北海道の山々でパウダースキーをするんだ!!

と、外に出て思いっきり身体を動かすことを目標にしていたので、まるで真逆だったんですよね。

退院の日に

入院から10日経ち、ようやく退院できることが決まりました。

もちろん死に対する恐怖を抱えたままなので、晴れやかではありませんが、「ようやくシャバだ〜〜」と心は少し上向きです。

身支度を済ませ、カーテンの向こう側にいる皆さまにご挨拶をしました。

「大変お世話になりました。今日これで退院します。みなさまと過ごしたことを大切に、これからリハビリをがんばります」

すると3人の方全員が初めてカーテンから顔を出し、私を送り出してくれたのです。

その瞬間、とても嬉しかったことと同時に、心の病気ってなんて大変なんだろうと強く感じました。

正直、私も死と向き合うことになり、大変な思いをしていますが、一応明確な治療と目標があります。

時に挫けそうになり涙も流しますが、「よおし、目指すはこれだ」と心を奮い立たせることができました。

しかし、彼女たちのような心の病気は、他者からの理解も得られづらいと同時に、なかなかゴールというものが見えづらく、そのため達成感を得ることが難しいように感じたのです。

退院がいつのなるのかがわからずに、毎日毎日、自分の心と向き合い、過ごしていく時間を、どう受け止めているのだろうか…

とある通院の日のこと

退院後の私は、治療と経過観察のために通院が続きました。

なんとなくルーティンが生まれていて、まずは駅に降りたら、病院近くの金毘羅さんでお参り。

主治医の診察や検査、治療などが一通り終わると、入院時に通っていたスタバへ寄って、大好きなコーヒーを飲みながら、その日に受けた内容と経過を「病気ノート」に記入。

といった流れです。

入院中じゃなく、通院の中でスタバに寄れることを味わいたかったんですよね。

そんなとある通院の日のこと。

スタバに入ったら、「あれ?」知った顔を発見したんです。

その人は、私の隣のベッドにいた女性でした。

あまりの驚きと嬉しさに声をかけると、私が退院した後しばらくして退院できたそうなんです。そして「今は通院している」と、ニコニコと嬉しそうな顔でお話をしてくれました。

入院している時とは見違えるほど元気で、顔もツヤツヤして声もハキがあり、一瞬別人かと思うくらいでした。

私も天まで登る気持ちになるくらい嬉しくて、まるで自分ごとのように大はしゃぎです。

なんと言うのでしょう。

例え病気は違っていても、なんとなく一緒に闘ってきた同士とでも言うのでしょうか。

外に出ることをあれだけ怖がっていたのに、こんなに短期間で変わったんだ〜と、人が持つ計り知れない力を感じました。

外に出ることと闘っている人もいるんだ

それまでの私は、自分主体でしか物事を考えられなくて、心を壊してしまうということが全く理解できませんでした。

ひどい話「心を壊すなんていうのは弱いから」、と高を括っていたように思えます。

しかし、この経験を通じて物事の裏側にあるものを見る、感じるという大切さを学ぶことができた気がします。

日常生活を普通に送れるということの愛おしさ
立ち上がり、歩けることの素晴らしさ
散歩をするだけでも、人によっては非日常生活にもなるということ

そんな出来事に対する想いが、『旅の定義』の根底にあるのです。





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